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イエス・キリストと「33」(密儀)

新約聖書にはイエスの誕生後の子ども時代の記述はなく、12歳になった年の過越しの祭りで両親と共にエルサレムを旅したことが書かれており、そしていきなり30歳になるところまで話が飛びます。

新約聖書は、イエスの死後に複数の弟子たちがイエスの行いや教えをまとめたものと言われていますが、最近の研究ではイエスの10代後半~20代が書かれなかったのは、イエスが異教徒の修行をしていた期間だったため無視された(あるいは削除された)のではないかと見られています。

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エッセネ派のイエス

イエスは、ユダヤ教のエッセネ派に属していました。
エッセネというのは、「医師」(治療者)を意味する古代シリア語に由来し、精神、魂、肉体を病んでいる人を治すことをしていたそうです。

エッセネ派は、ファリサイ(パリサイ)派から派生したと考えられていますが、ファリサイ派と違い、俗世間から離れて禁欲的な生活をし、自給自足していた共同体だったそうです。
共産主義的とも言われています。


エッセネ派についての記録を残しているのはフラウィウス・ヨセフスとアレクサンドリアのフィロンである。
ヨセフスは『ユダヤ戦記』第Ⅱ巻119~161にかけてエッセネ派について解説している。フィロンの記述もヨセフスとは若干の違いはあるものの大部分において共通している。
長きにわたって死海文書の作成者と思われるクムラン教団(Qumran Community)はエッセネ派に属するグループあるいはエッセネ派そのものであると考えられてきたが、ノーマン・ゴルブのように異議を呈する学者たちも存在している。


クムラン遺跡


エッセネ派は、ユダヤ戦争の結果、西暦70年にエルサレム神殿が崩壊した後、ファリサイ派のグループと合流していくことで歴史から姿を消したと見られています。


イエスの父ヨセフ

エッセネ派の共同体は、既婚者と独身者のふたつのコミュニティで構成されていました。彼らは決して商人になることはなく、農業や羊飼い、陶工や大工の技術で自活していたそうです。
イエスの法的な父・ヨセフは大工でした。

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イエスの母マリアは、幼い頃に神に捧げられた子ども(オブラート)で、ヨセフとはかなり年が離れていました。

マリアが12歳になったとき、天使が大祭司の前に現れ「(神がマリアに子どもを授けるため)彼女は、主が徴(しるし)を見せる者の妻となるのであろう」と告げたため、大祭司はコミュニティの独身の男性たちを「聖の聖なる部屋」に集めました。

ヨセフは、自分は高齢なので選ばれるとは思っていませんでしたが、白い鳩が彼の頭に止まったのです。
ヨセフはダビデ王の末裔とされており、メシアは彼の家系に生まれるという預言が成就したとみなされています。



ヨセフはマリアが聖霊によって身ごもっていることに気づき、マリアの妊娠が表沙汰になる前にひそかに離縁しようとしました。

そんなヨセフの夢に天使が現れ、「ダビデの子ヨセフ、恐れずにマリアを妻として迎えなさい。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」(マタイ1:20)と告げました。


レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『受胎告知』、ウフィツィ美術館収蔵


イエスの誕生

『ルカによる福音書』によれば、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(紀元前27年-紀元後14年)が、戸籍・人口調査を命令したため、人びとは登録のために自分の故郷へ戻りました。

ダビデ王の流れを汲むヨセフとマリアは、ダビデの町・ベツレヘムへおもむき、そのときにイエスが生まれたそうです。
これにより『ミカ書』に書かれていた預言が成就しました。

エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。


そして、上の絵ではイエスが生まれたのは冬ではないことがわかります。
聖書にはイエスの誕生日を明言している箇所は1つもありません。
イエスの誕生日を12月25日としたのはキリスト教会の事情なんです。


ベツレヘムの星

イエスがベツレヘムで誕生した直後、今まで誰も見たことがない星が西の空に見えたため、三人のマギはユダヤ人の王が生まれた徴と思い、その星に向かって旅を始めました。


その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
(マタイ2: 1-12) 。

この訪問は、キリスト教では伝統的に公現祭(1月6日)に祝われます。

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マギについては以下の記事に書いています。

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ベツレヘムの星の正体については様々な説があり、特定されていません。
(イエスが生まれた年も不明ですので)
天文学的には超新星、惑星、彗星、惑星どうしの接近や会合(コンジャンクション)などが考えられています。
私は彗星か超新星爆発じゃないかと思うのですけど。


ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは、紀元前7年11月に起きた木星と土星の3回のコンジャンクションが、ベツレヘムの星の正体であると結論付けています。

木星と土星のコンジャンクションは、20年毎に起きる「グレートコンジャンクション」と呼ばれます。
最近では2020年12月に水瓶座で起きました。
ネオンや照明で夜も明るい現代では、木星と土星が重なった光は大して明るくないですが、イエスの時代にはとても明るく見えたのでしょうか。

ケプラーが指摘したグレートコンジャンクションは、魚座の場所で起きたと言われています。


しかし、こんなに天文学が成熟してもいまだにベツレヘムの星の正体がわからないのは、そもそもマタイの創作だったのでは?とも言われています。


「東方三博士の礼拝」(ジョット画)

ジョットは、ベツレヘムの星を彗星として描いています。


イエスの幼少期

子ども時代のイエスについては、聖書外典『トマスの福音書』にしか知られておらず、トマスによればイエスはイタズラ好きで小悪魔のように復讐心の強い子どもだったとか。
他の福音書にはイエスの子ども時代のエピソードが見られないのは、キリスト教の布教上、望ましくないと判断され削除された可能性があるそうです。


イエスが12歳の時、両親とともにエルサレムの神殿に詣でた後、行方不明になったときのことをトマスは詳しく書いていました。

さて彼が一二歳だった時、両親は慣習に従って、巡礼の人々と一緒に過越の祭りにエルサレムへ行った。
そして過越の祭りの後、家に向かって帰途についた。するとその途上で少年イエスはエルサレムに上って行った。それでも両親はイエスが巡礼の人々の中にいると思っていた。
彼らは一日の道中をしてから、親戚の間でイエスを探したが見つからないので、悲しんで、探しながらもう一度町に戻った。

そして三日目に、彼が神殿で教師たちの間に座って耳を傾けたり質問したりしているのを見出した。
みなが注意を向けて、どうして子供でありながら律法の要点や予言者たちの比喩を解釈し、長老たちや民の教師たちの口をつぐませたりできるのか驚いていた。
そこで母マリアが近寄って言った。「どうしてわたしたちにこんなことをしたのですか。子よ、ごらんなさい、心配してあなたを探していたのですよ」。そこでイエスは言った。「何故わたしを探すのですか。わたしが必ず父のところにいることがわからないのですか」。

それで律法学者とパリサイ人たちは言った。「あなたはこの少年の母ですか」。彼女が「わたしがそうです」と言うと、彼女に言った。
「あなたは女の中で幸せな方。神があなたの胎の実を祝福されたのです。本当にこのような尊厳と徳と知恵とをいまだかつて見たことも聞いたこともありません」。

"Christ in the House of His Parents"(邦題「両親の家のキリスト」
ジョン・エヴァレット・ミレー作、1849年-1850年)


20代のイエスは何をしていたのか?

そしてイエスは30歳になる少し前に、親戚でもある洗礼者ヨハネから洗礼を受けました。ヨハネもエッセネ派でした。

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大祭司イエス

聖書には20代のイエスがどこで何をしていたのか書かれていませんが、『ヘブライ人の手紙』では「イエスはモーセに勝る偉大な大祭司」であるとし、神が「あなたこそ永遠で、メルキゼデクのような祭司である」(5章5節)と言われたと書いており、イエスは永遠に大祭司の役割を担うことになっています。(6章20節)


メルキゼデクは、『創世記』(14:18)にて「いと高き神の祭司」、並びに「サレムの王」として紹介されている。
『詩篇』(76:2)の記述などを根拠に、「サレム」は伝統的にエルサレムと同一視されている。元来はサレムの王であり司祭だったといわれ、アブラハムにカバラを伝授したとされる。

『アブラハムとメルキゼデクの会見』 ディルク・ボウツ 1464-1467


聖書に書かれている「いと高き神」とは、フェニキア神話に出て来る神“El Elyon”(エルエリョン、あるいはエルエリオン)と同義です。


メルキゼデクの名前は2つの要素から成り立っています。
melek (h)「王」とṣedeq「正義」(もしくは固有名詞Zedek )で、「正義の王」もしくは「私の王はZedekである」と翻訳されます。
ゼデクは、イスラエル以前のエルサレムで崇拝されていたカナンの神Zedekと言われています。
カナン宗教は、古代レバント地方に住んでいたカナン人によって、少なくとも青銅器時代初期から紀元後1世紀まで実践されていた古代セム系宗教の一群でした。

つまり、イスラエルに侵攻される前のカナンで崇拝されていた神はZedek呼ばれ、フェニキアではEl Elyonとなったわけです。

カナン人はイスラエル人に追われて散り散りになってしまいました。



メルキゼデクは、たぶん大祭司ザドク(ツァドク)と同一でしょう。
ザドクは旧約聖書の『列王記』に登場します。

ダビデ王の時代に祭司を務め、ソロモン王に香油を注いだ人物とされています。
2023年5月のチャールズ3世の戴冠式では、塗油の儀式において『祭司ザドク』が演奏されていました(聴きました!)


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異教の密儀

マンリー・P・ホールは、新約聖書の「メルキゼデクのような祭司」やテンプル騎士団員が持っていた初期のキリスト教の歴史から推測して、「イエスはメルキゼデクの神殿で密儀を受けたことになる」と書いています。

メルキゼデクの神殿とは、ソロモン神殿のことです。

フリーメイソンのバーナード・H・スプリンゲット(Bernard Springett.の『シリアとレバノンの秘密宗派』に、名前を明かせないある宗派の密儀が引用されているそうなのですが、日本語訳は出ていません。



名前を明かせない宗派とはエッセネ派のことじゃないかと思いますが、シリアとレバノンにはキリスト教と似た教義を持つイスラム教の異端派が多いようです。

たとえば、前回の記事に書いたシリアのアラウィ―派(バシャール・アサドの家の宗教)やグノーシス主義の影響が強いドゥルーズ派

もしかすると、散り散りになったエッセネ派がイスラム教世界で、イスラム教を隠れ蓑にして生み出した宗派なのかもしれませんね。


『最後の晩餐』でイエスがしたように、ぶどう酒とパンを裂く儀式(聖体拝領)をエッセネ派も行っており、メルキゼデクも同じ儀式を行っていたと察せられます。
それがキリスト教に引き継がれたと考えられます。


それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。
「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。
(ルカ22章19-20)

最近ではノートルダム大聖堂のセレモニーで聖体拝領が行われました。
聖体拝領はキリスト教徒でないと受けられません。
(マクロン大統領は受けませんでしたが、奥さんのほうは受けているビデオを観ました)

プロテスタントでは「聖餐式」と呼びます。


『最後の晩餐』(レオナルド・ダヴィンチ)


初期のキリスト教の伝道者は、自分たちの信仰と異教徒の信仰の類似性を認めようとしていたことは明白だと、マンリー・P・ホールは書いているのですが、後世のいつごろからかキリスト教会はそれを否認するようになったのでしょう。

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「33」の意味

イエスは33歳という象徴数字の歳に処刑されてしまうのですが、実際はそのようなことはなく長生きしたという説もあるそうですが、もちろんキリスト教会が認めるはずはありません。


磔刑(アンドレア・マンテーニャ画、1459年)


「33」は、フリーメイソンの階級に関係している説がよく知られていますが、数秘術ではマスターナンバー(11、22、33、44)のひとつです。
マスタナンバーは2重の強調になります。
33は3を重ねることで、数字3が持つエネルギーを強調しています。


錬金術のヘルメス・トリスメギストスはギリシア語の神名で、「3倍偉大な」ヘルメス、「至高の者」ヘルメスの意味と言われています。

ギリシア神話のヘルメス神と、エジプト神話のトート神がヘレニズム時代(ギリシア主義時代)に融合し、さらにそれらの威光を継ぐ人物としての錬金術師ヘルメスが同一視され、ヘルメス・トリスメギストスと称されるようになった。

それら3つのヘルメスを合わせた者という意味で、「3倍偉大なヘルメス」「三重に偉大なヘルメス」と訳される(3人の賢者〔ヘルメス〕、三重の知恵のヘルメスという伝説)。

ヘルメス・トリスメギストスが「トリスメギストス」の名を持っている理由の説明としては、エメラルド・タブレットの「全世界の英知の三部門を知る」という記述を根拠にするものがある。
この3つの分野の知識とは、すなわち錬金術・占星術・神働術である。

霜月やよいさんが「アマデウスの魔笛の秘密」第4章で、「3」の重要性を書かれています。


また薔薇十字団では33の解釈は、3×3=9となり、(9は数秘では「完了」を意味しますが)秘教的人間を表す数です。

シュタイナーは、以下の9つの要素を説明していました。

1肉体
2生命体(エーテル体、エネルギー)

3アストラル体(意識の目覚め)
4感覚魂
5悟性魂(理解力)
6意識魂

7霊我(進化した自我)
8生命霊(気質、性格をコントロールできる)
9霊人(肉体をコントロールできる)



3×3=9に宇宙の神秘の力を加えると10になります。
それは十字架で表されます。
なのでイエスは十字架に架けられたのでしょう。

イエスは処刑から3日後に復活し、弟子たちと過ごした後、「天に上げられて神の右の座に着かれた」と聖書には書かれています。(マルコ16:19)


イエスが天に上げられた後、弟子たちはエルサレムなどの都市にキリスト教のグループを設立しました。

ユダヤ戦争が起き、ソロモン神殿はユダヤ暦第6月8日、9日、10日に火を放たれて炎上し、エルサレムは陥落しました。
弟子たちはエルサレムを離れ、イエスの教えはヨーロッパへと伝わることになるのです。


私の推測では、西暦34年のグレートコンジャンクションが、火のエレメントの獅子座にミューテーションしたため、(ケプラーが指摘したイエスが誕生した年の魚座でのコンジャンクション=水の時代から)「火の時代」に変わったことも影響したのだろうと思います。


イエスの聖遺物は、アリマタヤのヨセフという人物によってイギリスに運ばれました。
これが聖杯伝説となり、アーサー王の物語に繋がっていきます。


今日はこのへんで。
最後までお読みくださりありがとうございました。ではまた。

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