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火を消してはいけない*ウェスタの巫女が伝えたこと

以前に書いた記事を編集、追記しています。

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小惑星Vesta(ベスタ)は1807年に発見され、ローマ神話の女神ウェスタの名前を付けられました。
Vestaは、条件が良ければ肉眼でも見える天体です。公転周期は約3.6年。逆行は、1年4ヶ月ごとに起きます。



かまどの女神ウェスタ(ヘスティア)

ウェスタは、ローマ神話では神殿のかまどを守る女神であり、家庭、家族を司る処女の女神とされ、のちにギリシャ神話のヘスティアと同一視されました。英語での発音はヴェスタ(ベスタ)。

1世紀、ポンペイのパン屋のララリウム(神棚)の中心人物として、
人間の姿をしたウェスタの珍しい描写


ウェスタが人間の形で描かれることはめったになく、フォロ・ロマーノにあるウェスタ神殿の火として描かれていました。

占星術のベスタのマークも、かまどの火を象っています。

ベスタ


ウェスタは、ローマ神話に登場する12人の最高神ディー・コンセンテース(Dii Consentes)に数えられています。

ディー・コンセンテス十二神

12神は、 6人の男神と6人の女神で構成されています。

ユピテル(木星)とジュノ、ネプトゥス(海王星)とミネルヴァ、マールス(火星)とウェヌス(金星)、アポロン(太陽)とダイアナ(月)、バルカンとヴェスタ、メルクリウス(水星)とセレスの男女ペアになっています。


ウェスタは、サトゥルヌス(土星)とオプス(ギリシャ神話のレアと同一)の娘で、ユピテル、ネプトゥス、ブルトン(冥王星)、ジュノ、セレスの姉妹でした。

イタリアにおけるウェスタ崇拝は、ローマの南にあるラティウム州の港湾都市ラヴィニウムで始まったそうです。
多くの神々の崇拝と同様、ウェスタ崇拝も家庭が発祥ですが、ローマの伝説では2代目の王にあたるヌマ・ポンピリウスの治世中に確立されました。


ウェスタ神殿

ウェスタ神殿は、当時の建築スタイルには珍しい円形の神殿でした。

ローマのすべてのかまどの火を象徴する火が絶えず燃やし続けられ、これを管理する女性神官は「ウェスタの巫女」と呼ばれました。


ウェスタ神殿を建てたヌマ・ポンピリウス(在位:紀元前715年‐673年)は、ローマ暦、ウェスタの巫女、マルス崇拝、ジュピター崇拝など、初期ローマの最も重要な宗教的および政治的機関の多くに起因しています。

哲学的思想を好み、無用な争いを避けた王様で、今で言う「スピっている」人物だったと思います。

ヌマ・ポンピリウス(Numa Pompilius, 紀元前753年 - 紀元前673年)は、王政ローマにおける第2代の王(在位:紀元前715年- 紀元前673年)。
42年におよぶ治世中に一度も戦争をせずに内政を充実させたとされている。

ヌマはサビニ人の有力者ポンポンの子で、4人兄弟の末っ子として、ローマが建国されたその日に生まれたという。
哲学と瞑想を好み、ピタゴラス学説の思索にあまりに没頭したために、年若くして白髪になったと言われている。


フォロ・ロマーノで円形の神殿は、ウェスタ神殿だけでした。
ウェスタの神殿はすべて円形で、生命の源としてのヴェスタの火と太陽とのつながりを強化するために、東を向いた入り口があったそうです。

1805 年のヴェスタ神殿のイラスト


炉の形もやはり円形だったと推測されています。

犠牲を捧げる祭壇の火は、犠牲の捧げ物を煙の形で天に伝えることを目的としており、四角形でなければなりませんでした。
しかしウェスタの火は、ローマのすべてのかまどの火を象徴するもの、つまり家庭のかまどを代表している「国家のかまど」の意味がありました。
そのような火は、地球が丸い(平面説支持の方は異論があるでしょうが)のと同様に、丸いものでなければならなかったのだそうです。


天におわす神から見て、円い火は人間が生活している場所を明らかにし、その場所は保護されるという信念もあったようです。

神殿は、ルネッサンスまでほぼ無傷のまま残されましたが、西暦 1549 年に取り壊され、その大理石は教会や教皇宮殿の建設に再利用されました。


ウェスタの巫女たちの家

ウェスタ神殿の後ろに、巫女たちの住居がありました。
この場所は「ポメリウム」と呼ばれる神域内にありました。


彼女たちの仕事は、神殿の火を絶やさないこと。
「ウェスタ神殿の火が消えるとローマに災害が降りかかる」と信じられていたため、巫女の仕事は大変重要な任務でした。

ウェスタの火は、ローマ全体の生命力の象徴でもあったので、聖火を絶やさぬウェスタの巫女は、ローマ人を守っている「母」とみなされました。

また、聖なる泉から水を汲み、典礼に用いる酒食を用意し、寺院の聖所におかれた聖具を管理するのも彼女たちの務めでした。
神への供物に必須とされていたモラ・サルサという麦と塩をまぜた特別な粉も作っていたそうです。

エンマー小麦


モラ・サルサは、粗く挽いてトーストしたエンマー小麦粉と塩の混合物でした。祭壇や神聖な火に投じられたり、犠牲の動物の額や角に振りかけられました。個人の家庭のかまどにも供え物られました。

「モラ (mola) に乗せる」(ラテン語で immolare)が転じて、「犠牲を払う」という意味になり、英語では「immolation」となった。


巫女たちの家(復元スケッチ)


巫女の勤めは30年間に及び、その間は結婚することは許されませんでした。
そのため、巫女たちは「ウェスタの処女」と呼ばれました。

この30年間は、学び手の10年、勤め手の10年、教え手の10年の三つの時期にわけられ、その後に結婚を望んだなら結婚することができたとか。

ほとんどが任務を終えても独身を通したそうですが、ウェスタの巫女だった女性と結婚することは大変な名誉とされていたそうです。


火を消してはならない

ウェスタ神殿の火は、火の純粋さを保つため毎年3月1日に更新され、テオドシウス1世によって異教崇拝が禁止された西暦 391年3月1日まで燃え続けました。

プルタルコス(西暦 1 世紀頃) の『Parallel Lives』に因れば、ウェスタの巫女たちが火を再点火するために、燃える鏡(三角形の金属鏡を結合して作られた鏡)を使用したことが記録されています。

万が一、火が消えてしまったとしても、別の火から再び点火されるのではなく、太陽光線から純粋で汚れのない炎を引き出すことによって、新しい火が得られるのです。
彼らは通常、二等辺直角三角形をくりぬくことによって形成された、円周からの線が一点で交わる、真鍮の凹面容器でそれを燃やします。
これを太陽に向けて置くと、その光線が中心に集まり、反射によって火の力と活動を得て、空気を希薄化し、適用に適していると思われる軽くて乾燥した物質を即座に燃やします。(tr. ラングホーン 1821 1: 195)

ウェスタ神殿の跡


聖火の管理を怠った巫女は、ローマを危機にさらした(「ウェスタ神殿の火が消えるとローマに災害が降りかかる」)として、鞭打ちまたは殴打によって罰せられたそうです。

ウェスタの巫女になる資格

一番最初の巫女は4人で、それから数人ずつ増えていき、いっとう最後は7人だったそうです。数少ない女性エリートという感じです。

巫女たちには数々の特権が与えられ、一般の女性には与えられない財産権もありました。
清廉潔白な人間であるとされていたので、宣誓なしに証言をすることができたり、条令などの重要な決定にも意見を求められました。
市内を自由に移動することはできましたが、かならず護衛付きの馬車に乗らなければなりませんでした。

また、有罪となった囚人や奴隷に面会し、彼らを解放することができたり、死刑を言い渡された罪人が、処刑の前にウェスタの巫女に会うことが出来れば、自動的に赦されることになっていたそうです。


ウェスタの巫女になることは、結婚や子育てといった社会一般の義務から解放されているということであり、家長制度から離れて自立している女性という印象だったようです。

しかし、望めば誰でもが巫女になれるわけでなく、候補に選ばれるのは6歳から10歳までの貴族階級の娘で、心身ともに健康なことが求められ、くわえて二親が存命していなければなりませんでした。

巫女に選ばれた少女は、頭髪を刈られたと記述がありました。おそらくショートヘアにされたということだと思います。
理由はよくわからないですが、髪の毛に火が燃え移らないためだったかも?

ウェスタの処女の版画(フレデリック・レイントンのイメージ 19世紀)


時代が下り、ウェスタの巫女を採用することが次第に困難になるにつれ、平民や解放奴隷の娘でも巫女になることが認められるようになったそうです。


背信行為の厳罰


ローマでは、国は大規模な家族と考えられており、ウェスタの巫女は国家の娘、その純潔はローマの安定と結び付けられました。

したがって、市民との性的関係は近親相姦(本当の近親相姦の意味ではなく、宗教的純潔を汚す行為全般を意味する)であり、貞操の誓いを破った巫女は厳しく罰せられました。

背信した巫女への罰は、地下房に少量の食料と水を与えられ、生き埋めにされました。巫女の血を流すことは禁忌だったので、生き埋めにするのが唯一の巫女の処刑方法でした。

ところがローマの法律には、「市民を生き埋めにしてよい」とは書かれていないため、ローマ人は巫女に食料などを持たせて地下に押し込めました。
つまり、自己の罪を悔いているうちに死んでしまった(自殺)ということにしたわけです。

ウェスタの処女の殉教(fr:Jean-Baptiste Peytavin 18世紀)


ポメリウムには死者の埋葬は許可されていなかったので、巫女はポメリウムの境界線にあるコリーヌ門の近く、邪悪の地と呼ばれたキャンパス・セレラトゥスの地下に生き埋めにされたそうです。(下図の緑色で囲った場所)

女神ウェスタは、境界線の女神とも呼ばれました。
巫女たちが境界線のところに生き埋めになったことも、関係しているかも知れません。



しかしウェスタの巫女の近親相姦は、実は「極めて稀」で、ほとんどは軍事的または宗教的危機の時期にスケープゴートにされたと言われています。

たとえば紀元前114年に、ある少女が乗馬中に落雷により死亡し、少女の死はウェスタの巫女が不貞を働いた証拠として解釈されました。
結果、3人の巫女が死刑を宣告されたそうです。


ヴェスタリア

ヴェスタリア(ウェスタを讃える祭り)は、毎年6月7日から15日まで開催されていました。

祭りの初日には、ペヌス・ヴェスタエ(通常はカーテンで閉ざされているウェスタ神殿の聖域)が開かれ、一般の女性たちは自分とその家族への祝福と引き換えに女神に捧げ物をしました。

かつて、アプロディーテの子で巨大すぎる陰茎を持って生まれたプリアポスという豊穣の神(R指定されそうな絵が出てきます)に、女神ウェスタがレイプされそうになったのを、ロバが激しく鳴いて危険を知らせたことから、ヴェスタリアの祭りでは、ロバの首にパンで作ったネックレスが飾られたそうです。

ウェスタは「男根」にも関係している女神と言われています。

火が生命力を表していたからでもあると思いますが、ローマ建国の伝説の王ロームルスと双子の弟レムスの母レア・シルウィア(初期の伝承ではイリアと呼ばれていた)が、ウェスタの巫女だった時代に、軍神マルス(火星)によって身ごもったという話も関係していそうです。

レア・シルウィアは「聖なる火の子を産んだ」あと、純潔の誓いを破ったとしておそらく生き埋めにされたと考えられています。

ロームレスの話は次回に回します。

ツタの花輪を吊るすウェスタの巫女。


ローマ人にとってウェスタ崇拝はとても重要で、テオドシウス 1 世によって禁止させられるまで続きました。

394年には、かつてローマの永続と安定の象徴とされ、ローマの建国期より火を絶やすことのなかったヴェスタ神殿の聖なる炎も消された。


ベスタの占星術的意味

占星術におけるベスタのエネルギーは、「奉仕」「献身」「犠牲」と言われており、ウェスタの巫女たちそのものように思います。

「奉仕」も「献身」も自分の内側にある想いからの行動であり、外圧で強要されて行う「犠牲」ではない。本来は。

私は、占星術師のブライアン・クラーク氏のエッセイのファンなのですが(鏡リュウジ先生の翻訳も素晴らしい)、ウエスタ(ヘスティア)について2020年に寄稿された文があります。
全文は寄稿されたサイトでお読み下さい。

心の生の中心であるヘスティアは、聖なる中心点です。
ヘスティアは聖なる空間を大切に敬い、聖なるイメージを庇護する女神なのです。
ヘスティアは生きているものも死んでいるものも、その炉辺に集うものを受け入れもてなし、世話します。
その中心の炉辺で、集中して心を込め、私たちは人生の物語を語り、耳を傾けることができるのです。

ランプを手にする女神、ウェスタ(アンジェリカ・カウフマン 18世紀)


ベスタは、個人個人が持つ内的世界の火。自分のコアに燃えている炎だと思います。

ウェスタの巫女たちが何があっても持ち場を離れず、聖なる火を絶やさないように奉仕したように、私たちも自分自身の中にある神殿の火を守らないといけない。

2020年12月に「風の時代」が始まり、同時にコロナによる世界的大混乱が起き、気候変動による大災害、またひたひとと近づく戦争の足音などの世情不安は、歴史のパターンの繰り返しにしか思えないですが、新しい管理社会の未来図などもちらつく中で、皆が外圧によって動かされないように、自分の中心(ウェスタの炉)へ戻る機会を与えられていると思います。

「犠牲」ではなく、心から望んで自分の聖なる火を燃やし続けたいですね。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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