幸せは時々未知の中に隠されている
”Le bonheur est parfois cache dans l'inconnu"
『幸せは時々未知の中に隠されている』
フランス語の名言。『レ・ミゼラブル』で有名なヴィクトリー・ユゴーの言葉。…らしい笑。僕と恋人的隣人さん(以下略「恋人さん」)の最近を意識したフレーズ。
さて。
五歳下の恋人を日本に置いてきぼりにして、恋人さんはイギリスへと旅立ってしまいました。思ったよりそんなに寂しくない。…多分寂しくなるのはこれからなのだと思う。でも、うん、そんなに寂しくはない。強がりとかじゃなく、本当にそう感じている。むしろ安心している。ああ、なんかこの人が自分の人生を生きているのと同じように、私も取り敢えず自分の日常を生きようと思った。なので、感傷的に思うところはあまり無し。さては僕、あんまり執着心とかないやつかもしれない。実はあっさりしてるかも。
対して、恋人さんはというとちょっと抵抗ありそうな感じがした。これは僕視点の話なので、もしかしたらあっちは無いかもしれないけど笑。
…まあ、置いていく側ですしね。あっちでの自由はあんまりないけど、私は結構自由が利くし、好きな時に好きな事が出来る可能性も高い。そういう意味で心配はあるんだろうなと思うし、私はいつも荒々しく生きているのを知っているからそういう意味での心配もおりそう。
今まで言葉にしてくれてなかったところも一生懸命言葉にしてくれて嬉しかった。いつも以上に早口で、笑ってしまった。そういう不格好だけど、本当に大切に思ってくれて、いざって時にはちゃんと頑張ってくれるところに改めて好きだなと思いました。
どんな言葉を語ってくれたのかも自慢したいというか、言葉にして残しておきたいけれど、それを書いてしまうのはとても勿体なくて、私だけのもの、私と親しい人のものにしておきたいからここにはあえて書かない。この画面の裏で私がこっそりにやにやさせてもらう。
これから今まで以上に離れて過ごす4カ月を、私達は、私は、どう過ごそうか。バケットリスト(いわゆる100のやりたいことリスト)でも作ってやろうか、なんて画策もしている。滅多に出来ない経験だ。どうせなら心から楽しんでやろうと思ってる。…私、ちょっと性格悪いかも?笑
時間が合う時には話をしたりしながら、日々を共有出来たらいいなくらいのつもりでいる。もちろん、互いに負担にならないことが前提で。だから、電話やメッセージは出来る時にはくださいと言っているし、まあ、そうでない時には手紙を書こうという話もしている。ううん、めんどくさくならないといいけれど(僕が)笑 そうでなくても恋人さんがこれから訪れる国の郵便制度はどうやら優秀なわけではないらしいし、ちゃんと届くかどうかは怪しいところがある笑
いずれにしても、生きて帰ってくれば最終的にはそれでいいなあと思っていたりする。旅先でいろんな経験をすると思うけれど、それは恋人さん自身のものだから僕がどうこう出来るものでもないし、なんていうか、それはそれというか。もちろん入院するとか、身動き取れなくなるような怪我は流石に心配だけど、まあ、でも、多少の風邪、擦り傷、切り傷くらいは自分で何とかしてくれって感じではある。何も出来ないし、する必要もないから。
だから、そうだなあ、僕が祈るとしたら、恋人さんがより多くの収穫物を持って、生きて帰って来てくれることになるのだろうか。そのためなら多少の怪我や苦労は経験値を積むための勲章だと思って頑張ればいいと思う。…ドライかな、ドライかもな笑
(でも、同じ話を知り合いにしたら「それは『信頼してる』ってことだよ」と言ってもらった。この方が聞こえがいいので、これからはそう言おう笑)
でも、帰ってきたらたくさん話を聞きたい。四ヶ月会えなかった分、甘えさせてほしい。だって、この四ヶ月で恋人イベント総飛ばしだ。クリスマスも、年末年始も、バレンタインデーも、ホワイトデーも。何一つない。もう知らん。まあ、別に何かイベントを特別大事にしたいと思ってるわけじゃないけど、どうせなら一緒には過ごしたかったのは本音だし。そういう意味も込めて構って欲しいのは本当だ。けど、まあ、それはそれなので。帰ってきた時に元気で、話を聞かせてくれたらそれでいいかな、ひとまず。
さて、文章の終わりとしては不自然に思えるけれど、この文章はここでお終い。本当は文章に起こした、起こしたい話もあるけれど、それは私と恋人さんの間にのみ存在すること。
ええ、そうです。つまり。
私達の幸せは私達二人だけが知っている。周りの人にとっては未知のまま、隠されている。…なんて、こんなオチがつけたかった。そんなお話でした笑
ここまで読んでくださってありがとうございました。皆様の当たり前と未知が重なっていく日々の中に幸せが溢れますように。