ミックスナッツの喜劇
アニメ「SPY×FAMILY」の話
少し前から放送されている「SPY×FAMILY」。
僕もそれに嵌っている一人であると思う。
さて、このアニメにはオープニングとエンディングで次の二曲が使われている。
オープニングはofficial髭男dismさんの「ミックスナッツ」。
エンディングは星野源さんの「喜劇」。
ちなみにこの文章のタイトルはこの二つの曲名をつなげたところから来ている。
このアニメのあらすじをものすごく簡単にいうと主人公達三人、ロイド、ヨル、アーニャがそれぞれの素性を隠しながら疑似家族を構築していく話だ。
ロイドはスパイ、ヨルは暗殺者、アーニャは超能力者。それぞれ人には言えない秘密を抱えているけれど、同じ目標(正確にいうと目標が同じなだけであってそれぞれの目的は異なるのだが)に向かって三人で一生懸命に突き進んでいくあり方が描かれている。
僕はこのアニメ、ひいてはこのアニメの主題歌からとても多様性を感じている。
僕は結構マイノリティ的な側面をたくさん持っている。それはある種「隠したい」ものであったりもする。ある部分ではそれを出して、ある部分では見せないようにしながら、自分を生きている。そして、周りの人々と共に生きている。
アニメの中で自分達が普通でないと突きつけられる時、登場人物たちは苦しそうになる。僕はそこに自分の姿を重ねる。
だけど、その、普通ではないけれど、その過去を肯定してくれる存在である互いの姿に励まされて前に進もうとする登場人物に今日も生きようと思わせられるのだ。
ミックスナッツの話
この世はミックスナッツだ。
様々な種類の、あり方の人々が生きていて、ごちゃまぜになっている。
だけど、ミックスナッツと一概に言っても、そこにはナッツとは違う、「生まれ」の違う「ピーナッツ」がいる。
「生まれた場所が木の上か地面の中か それだけの違い」
そう生まれたくて生まれたわけではない。
ただ、そういう生き方の元に生まれてきた。
それだけなのに、世界の中でそれはしばしば許されない。
僕のあり方もそう。
「僕」という一人称を注意する人がいる。
「女の子らしくしなくちゃ」とアドバイスしてくれる人がいる。
「素敵だね」と言って褒める事を「口説いてる?」とからかってくる人がいる。
私が必死に学んでいることや、大切にしていることを侮辱する人がいる。そのつもりもなしに。
「冗談だろ」って言葉で何でも言っていいと思っている人がいる。
もうおなかいっぱいで、日々消えてしまいたくなる。
マジでこの世はしんどい。
育ちが悪くて悪かったな。
でも、そういう世界の中でもなんとか生きてやるよと、「ピーナッツ」で何が悪いと思えてなんとか立てるのは、主人公達には互いが、僕には大切な友人がいるからだ。
「仮初めまみれの日常だけど ここに僕がいて あなたがいる それだけでもう胃がもたれていく」
仮初めっていうか、嘘つきっていうか。
隠していることもたくさんあるけれど、それでもこの世界を共に生きる人間がいてくれるからこそ、一緒にいる。
生きようと思う。
もちろん、それは時に疲れて、もうインパクトがありすぎて、胃がもたれていくのだけれども(笑)
そんなことを考えさせられている志賀である。
個人的に「ミックスナッツ」を食べながらハイボールを飲みたいなと考えてしまう、酒飲み大学生なのは目をつぶって欲しいところだ。
喜劇の話
「君となら喜劇よ」
この言葉に尽きる曲では!?と正直僕は思っている。
実は志賀、元々星野源さんの曲がとても好きで、彼の音楽の中で描かれている世界観、特に家族観が好きなのだ。
様々な形があって、一言では言い表せない関係がこの世には今本当にたくさんあることを示してくれるようなことを感じている。
同時に星野さんはちょっと皮肉屋だなと思っていたりもする。
なんていうか、世界に対してひねくれた目線を見せてくるのだ。
でもそれには正直共感する。
だってクソじゃんこの世界。
もう何回否定されてきたと思ってんだよ、ふざけんな。
で、そういう世界なんだけど、君がいるから生きていこうと思えるし、こんな自分も少しは好きでいられる。そういうメッセージを感じて、僕は彼の音楽やその世界観を愛していると思える。
てことで、君という存在がいると僕の世界は喜劇だ。
てか、喜劇にしようぜ、皆々様。
喜劇なら皆に祝福あれって言い放題でしょう?笑
ということでこの文章を終わります。
大好きなアニメ、その主題歌二曲から #多様性を考えてみた 、そんなお話です。
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