「美味しんぼ」再読備忘録2024「平凡の非凡」-第一巻「豆腐と水」第4話-


この回は、「美味しんぼ」の最重要キャラの一人、京極さん初登場回である。

冒頭、東西新聞の文化部社内で東西新聞事業部長の奥野氏と谷村部長と富井副部長が、東西新聞社主催の「印象派美術展」に京都の億万長者京極万太郎氏所有のルノアールを出品してもらう運びになったと喜んでいる場面から始まる。

そしてそのために京極さんを接待するという話になる。京極さん所有のルノアールの作品は「印象派美術展」の大きな目玉となる作品であり、つまりこの接待が重要となってくるのだ。

ちょっと不思議なのが、このルノアールについて、谷村部長が「京極家門外不出」と言うているんやけど、確か京極さんは、第十七巻第5話「海のマツタケご飯」の回で「貧乏な家の出で米問屋で下働きしてた」と自身で出自を語っているし、戦前の米相場で大儲けして一代で成り上がった人物であるはずで、「京極家門外不出」ってそんな箔は無いと思うねんけど。貸出などせず秘蔵していたって意味かな?。

まあ、兎にも角にも銀座でも有数、つまり日本一の料亭である「花川」で京極氏を接待しようと奥野部長は提案し、それに谷村部長も賛同し「栗田君、山岡君も同席しなさい。超一流の味を知るのも究極のメニューのための勉強になる」と勧める。

当然、我らが山岡は「接待のお供とかご免こうむりますよ」と断るのだが、富井副部長に一喝され、渋々接待に同席することになる。しかし山岡は「花川…ですか…」と意味ありげに独りごちる。???となる一同。

その夜、「花川」に京極氏を招いての接待の場で、歓談しつつ料理が運ばれてくる。最初は鯛、次がじゅん菜、トドメが鮎で、すべて季節外れの食材であり、栗田さんはどの料理にも納得できない様子、山岡も不満そうであり、最後のじゅん菜の碗に至っては箸もつけていない。

食通の京極氏も各料理に最初は箸をつけるが、ひとくち食べて憤懣遣る方無い様子。しかし、名高い料亭「花川」の料理に「さすが花川、うまいうまい」「これがじゅん菜ですか、ヌルヌルして面白い」と大はしゃぎの富井副部長、この回で富井副部長、トミーの道化師としての立ち位置が確立されたのではないか?。

養殖の鮎が運ばれてきた段階で我慢の限界と京極氏が怒り出し、「ルノアールは貸さん」とご破算になりそうになる。山岡は「やれやれ料理もひどかったけどこれくらいでへそを曲げるとはケツの穴の小さいじいさんだ」と声の大き過ぎる独り言を言い、京極氏を更に激怒させる。

しかし、多分これは山岡の計算であり、例によって例のごとく「明日もう一度ご馳走させてくれませんか」と言う。京極氏は「よし。しかしもし明日も自分を満足させられへんかったらルノアールは貸さんだけでなく、頭を丸めろ、つまり坊主にしろ」と約束させる。

山岡ってなんで髪型がリーゼントなのか、作中で説明ないけど、昔は不良の代名詞でもあったし、今後の展開で色々明らかになるけど山岡ってマイナー趣味とかいうか、どっかオタク気質というか、やっぱこだわりあるやろし、それを坊主に、ってことはまあ結構なプライドを賭けた勝負って意味なんですよね。

で、大丈夫なのか?と心配する谷村部長に山岡は「銀座の料理店を知り尽くしている男がいます。その男の力を借りれば」とこれから早速その謎の男を探しに行く様子。そんな山岡に栗田さんも矢も盾もたまらず後を追う。

その男とは実は浮浪者の辰さんで、銀座の料理店のゴミ箱の掃除などして料理店の余り物をもらって生活している男だった。ビックリする栗田さん。さもありなん。

辰さんの根城である銀座の地下鉄?の駅の構内のどっかで酒盛りついでに情報収集する山岡。一緒に居るけど周りの目が恥ずかしい栗田さん。当然である。

余談やけど、自分は父親を早くに亡くし、母親との二人暮らしであり、母親が営む家業の果物屋の週一回の定休日に母親と大阪の梅田に外食に出るのが唯一の贅沢であった。

昭和六十年前後、大阪のキタの繁華街の梅田で外食というとそれは梅田の百貨店のレストランでご飯を食べることをさしていた。梅田の百貨店は阪神百貨店、阪急百貨店のどちらかであった。

果物屋の定休日は卸売市場の定休日と同じ水曜日で、それは阪神百貨店の定休日であり、そうなると阪急百貨店を贔屓にするしかなかった。

その週に一度の贅沢に阪急百貨店の食堂街で豪華な昼ご飯を食べ、おもちゃを買ってもらい、地下の食品売り場を巡って思う様色々と買うて帰るのが習慣となっていた。

当時、国鉄の沿線に住んでいた俺等母子はその阪急百貨店の地下から帰路途中の立ち飲み形式の串揚げ屋「松葉」の横を通ってエスカレータいや当時は階段やったかな、で国鉄大阪駅に帰っていた。

今は再開発でなくなったその立ち飲み形式の串揚げ屋「松葉」は人気があり、仕事帰りのサラリーマンが入れ代わり立ち代わりに串揚げを思い思い注文し、ビールをうまそうに呑んでいた。その様子がのれん越しに見えて、思わず「お酒が呑めるようになったらこの店行ってみたい」と母親に打ち明けた。

途端に母親は「こんな場末の店なんか行くような子に育てた覚えはない」と大激怒であった。ついでに母親の拳固を一発アタマにもらったように思う。

その「松葉」総本店は大阪梅田でも有名なお店です。大阪に来られた際は是非行ってみてください。

さらに地元の国鉄東海道本線の塚本駅に戻ったら、当時冬季は駅前に「関東煮」つまりおでんの屋台が出ていた。それをみてまた性懲りもなく食べてみたいと母親に宣言し、同様に大目玉を喰らうことになるのだが、別にエエとこの子でもない俺様でもそうであった。ましてやちゃんとした様子の栗田さん家ならなおさらである。

嫁入り前の娘が今のようにホルモン屋や場末の角のみなど、そのような下賤な店に入店し男性客に混じって堂々と飲食する、というのは到底考えられない時代だった。それを思うと栗田さんのこの恥じらいを理解出来ると思う。

もし栗田さんが浮浪者の辰さんと駅の構内でゴザ敷いて一緒に酒盛りしている、その姿を栗田さんの両親が目撃していたとしたら、本当に大変なことになっていただろう。

下手すれば東西新聞社を辞めさせられていたかも?。いやそれでは収まらずに嫁入り前の娘になんということをしてくれたんだ、世間様に顔向けできない、と激怒する両親に谷村部長だけでなくもしかすると大原社主までにお詫びに参上せねばならなかったかも。これは全然大げさでないですからね。

余談が長くなった。そして辰さんと情報交換する山岡。「花川はウワサ以上のひどさだよ」「代がわりでゴタゴタがあって板前がすっかりやる気をなくしてる。今あの店で食べちゃダメだよ。」。いや山岡よ。なんでお前、そんな超一流料亭の噂話を知ってたんよ?実は結構仕事熱心違ゃうん?。

ともかく山岡は、辰さんより今銀座で一番の店は「岡星」との情報を仕入れ、そして調べ物があるのでと、社に戻る。いやマジで仕事熱心やん!。ついて行きたい素振りの栗田さんに「子供はとうに寝る時間だぞ」と諭す。カッコイイ!。

そして翌日の夜「岡星」に一同が集まる。そして絶対に失敗できない接待の場で出てきたのが、ご飯と豆腐の味噌汁とイワシの丸干しを焼いただけの一見粗末な膳であった。

この粗末な膳を見て困惑し、山岡を非難する東西新聞社の面々に、京極氏は「待て」と言い放ち、その一見粗末な膳がどれほど素晴らしいご馳走であるかを京極さん自身が解説する。

手始めにご飯のお米の産地と品種をピタリと当てる京極さん。ここでそのご飯の品種が「ササニシキ」なの、お?コシヒカリじゃないんや?と思われた若い読者さんは居ないだろうか?。

当時はまだ魚沼産のコシヒカリはそれほど認知されていなかった。そして「寿司屋や料亭などでは今でもササニシキはアミロース含有量が多いため食味はあっさりしており、副菜の味を引き立て和食に向くとされ、寿司酢を加えても、べたべたしないため寿司職人が好み、寿司店によってはササニシキの使用を売りにしている。このため一般消費者より、料亭や寿司屋への供給が主となっている。」(wikipediaより)とのことでここではササニシキが選ばれたのだろう。

そして、本物の材料を用い、適切な料理法で調理し、接待される側である京極さんの出身の土佐の丸干しを用意するという憎い心づかいを見せ、その焼き方も頃合いで提供して、京極さんを至極満足させ、肝心のルノアールの貸し出しを快諾させることに成功するのであった。

ご飯を食べただけでその米の産地や銘柄をピタリと当てる恐るべき食通である京極さんは、ふと山岡見てこう言う。「あんた、海原さんの息子と違うか?」と。まあそりゃ「美食倶楽部」の会員ですよね。うん。

狼狽し、京極さんから顔を背け頑なに否定する山岡。不審がる栗田さん。接待が終わり、帰る京極さんを見送った東西新聞社の面々。しかし山岡は姿を消していた。

意味ありげに視線を送る谷村部長と不安げな栗田さん。場面変わって辰さんと肩を組み呑んだくれる山岡。

この哀愁良き

この山岡の表情。この最後のコマに漂う寂寥感。これは本当に美味しんぼの初期でしか味わえない味ですなあ。(つづく)








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