「美味しんぼ」再読備忘録2024「そばツユの深味」‐第二巻「幻の魚」第3話‐

のちに山岡のかけがえのない友人となる「鬼の中松」こと中松警部初登場回である。とにかく格好良いのでご注目ください。

夜の銀座、栗田さんと山岡が繁華街を歩いている。接待の帰りか、残業の帰りなのか。二人が騒ぎ声に振り返ると酔客と屋台の店主が揉めている様子である。

よく見ると珍しい日本そばの屋台であり、屋台の店主も若い。興味をそそられた二人はその屋台を冷やかしてみることにした。「もりをくれ」との山岡の言葉にその若い店主は酔客の嫌がらせで落ち込んでいたのにすっかり気分良くなって生蕎麦を茹で出す。国産の十割そばだよ、と店主は胸を張る。

茹でたそばを近所の花屋さんから借りた水道で洗い、「水道水では消毒臭が残るから」と最後の仕上げにと井戸水で洗う。そしてもりそばが出来上がった。薬味も本わさびに鮫皮のおろしを用意するコダワリぶりである。

スルスルとそばをたぐって栗田さんは「美味しい」と声を上げる。実はこれまで栗田さんが口に入れて味わってすぐ「美味しい」という場面が意外と少なかったので、その栗田さんがいきなり褒めただけでも若い店主のそば打ちの腕前は相当に良いことが分かる。

しかし山岡は納得していないようだ。店主が「何か…」と声をかけると「そばはいいがそばツユがな…」とそばツユに苦言を呈する。「ウチのそばツユに文句があるのか」と店主が怒り出し、また揉め事になろうとした時に屋台に見回りの警官がやって来る。

警官は最近無許可営業の屋台が多いので巡回中だったのだ。「営業許可証を見せてくれ」という警官に、店主は「今、申請中で、1週間後におりるので待ちきれなくて…」とアタフタする。

それは当然ながら警官も見逃せないとなり、見逃してくれという店主と押し問答になる。そこに、そばの屋台とは面白いなと強面の大男がやって来る。栗田さんの食べかけのもりそばを眺めて、香りをかぎ、国産十割の生そばでしかも質が良いと感じ取ったらしい大男は「もりそばを作れ」と店主に命じる。

警官が「中松警部、この店主は無許可営業で…」と反論しようとするも「やかましい」と一喝し、店主にそばを作らせる。「そばを喰ってみてうまかったら、俺の権限でなんとかしてやる」と言う。

出されたそばをたった三口で食べ終えた中松警部。「噛まないで飲み込んでるの?」と驚く栗田さん。喰い終わって警部は「そばはまあ及第点だが、そばツユが弱すぎる。落第だな。」と言う。(山岡さんと同じ意見だわ!)と驚く栗田さん。

警部は「しかし、若いのにそばの屋台を出そうっていう心意気が気に入った。一ヶ月ここで営業しつつ研究しろ。一ヶ月後に俺が食いに来て、うまくなってたら許可書も出すし、この無許可営業の件も目をつぶってやる」と言い、去って行く。

店主は当然ながらもう商売ができないので屋台を引きながら家に帰る。帰る道すがら話を聞く栗田さんと山岡。驚くことに店主は何処かの店で修行したわけでもなく、そば好きが昂じて独学で勉強し屋台を出したらしい。

店主もそこは無類のそば好きだけにそばツユが弱いことには気づいていたらしい。いや、気づいていたからこそ、山岡が指摘した時に怒り出したんだろう。そばツユの改良のために誰かに教えてもらったらと勧める栗田さんに「嫌だ。自分でやりたい」と意地を張る店主。

一週間我慢したら普通に営業できたのに、後先考えずに勢いで無許可営業を始めた結果、一週間したらもらえたはずの許可証が保留となり、更に警部の判定次第では許可されず失効するかもしれないという最悪の事態である。

その後、家でそばツユの改良する店主。度々食べに来ている様子の山岡。壁にぶち当たり行き詰まってしまったらしく、苦悩する店主の様子を見て、山岡は浅草は雷門の近くの蕎麦屋「やぶそば」へ向う。山岡の謎に広い人脈の発動である。

その夜、栗田さんと山岡は屋台に来ていた。味をみたがやはりそばツユはイマイチである。店主は万策尽きたようだ。やはり素人のそば好きの独学では限界があるのだ。と、そこに客が来る。

客はもりそばを注文し、出来たそばを食べて「このツユだ。私が探していたのは」と言い出す。驚く店主。帰ろうとしていた栗田さんと山岡もその客の発言に思わず踵を返す。

その客は東京一の蕎麦屋と名高い神田雷門の蕎麦屋「藪」の店主大木であった。大木は「ウチのそばツユは味が濃いので有名だが、最近の若い客は味が濃すぎるというので、若者向けの薄いそばツユを探していた。この味付けを教えてくださらんか」と老舗の主人なのに謙虚に若い店主に頼むこむ。

店主は恐縮しつつも喜び、後日、「藪」の厨房で自分のそばツユの作り方を大木に教える。大木は味を見て店主に感謝する。そして同行してきていた栗田さんに「ウチのそばツユの作り方を見ていきませんか」と勧める。

「藪」のそばツユの作り方の工程を懇切丁寧に解説する大木。その過程のひとつひとつを観察しながら自分のそばツユに足りなかった部分を思い知らされる店主。

そして気づく。大木が自分のそばツユを欲しがったことは、山岡の仕組んだ茶番なのだ、と。「藪」のそばツユの作り方を見せて、店主に勉強させることが本当の狙いだったのだと。

しかし同時にいくら頼まれたからと言っても大切なそばツユの作り方の全てを惜しげもなく見せてくれた「藪」の店主大木の度量に感服したようだ。

そして見ず知らずの自分にその機会を与えてくれた山岡の親切にも心うたれたのだった。そして大木と山岡に素直に感謝を述べ、今見聞きしたことをすぐ試したいと言い、矢も盾もたまらぬ様子で急ぎ足で帰っていく。

強情はって独学にこだわってたり、無許可営業してもうた無鉄砲さ、とかもあったけど、こういう部分が可愛げと映り、他人から親切にされる部分なのかもしれないね。

ところで作中の雷門藪蕎麦はこのお店がモデルでしょうか。いつか行ってみたいな。

そして一ヶ月後。中松警部がそばを食べている。また三口で食べ終えたんだろうな。多分。そして、
「この野郎、窃盗犯だ。雷門藪の味を盗みやがったな」
「とはいえ、まだまだ藪の味にはおよばねえ」
「だがこの分なら見込みがあらぁ。取っときな」
と代金と用意していたであろう営業許可証を置いて去って行くのだった。

ラストシーンはまるで西部劇のようだ。男は背中で語るとは誰の台詞だったか。

全般的に江戸っ子の粋というものを感じさせる良い話である。若い蕎麦屋、「藪」の店主大木にもそれを感じるが、特に中松警部がカッコイイのだ。

鬼の中松初登場。この背中が良い。しかしこの山岡の顔なんか変だな。ニセモノみたいや。
最終試験でそばを味わう鬼の中松。この背中が渋い。

ところで最後の場面、営業許可証を用意してきてた中松警部、山岡とはまだ知り合いではないし、「藪」で教わったことも知らなかったようである。ではもし山岡の助けがなく、味が改良されておらず、納得出来なかった時は、どうするつもりだったか?。

自分はやはり仮免として営業許可証を出してやり、山岡に代わって、中松警部が味の改良について、あれやこれやとこの若い店主の面倒を見てやったのではないか、かわいがってやったのではないかと思っています。皆さんはどう思いますか?。

ところでこの屋台の店主は二十七歳だが、高卒もしくは中卒かもしれないが、就職し働きながら金をため、そばの勉強をして屋台を出したと思う。

昔、佐川急便、赤帽などで三年間くらい本当に死にものぐるいで働いて、自分の夢のために資金を稼ぐというやり方があった。2000万円とか貯められたらしい。今はそんな稼ぐことは無理とも聞いたことがある。

この当時、大学生だった自分はコンビニエンスストアでバイトをはじめたが時給は490円だった。初めての昇給は仕事ぶりを評価されたのではなく、大阪府の最低賃金が上がったので自動的に5円上がったのだった。クッソクッソ。

しかしまあ景気の良い時代だったのですぐに時給がどんどん上がっていき、深夜勤で時給が1000円を越えるようになり、夏休みなどフルに深夜勤務でシフト入りすると25万円くらいになったんよ。大学生が25万円ですよ。嬉しかったなあ。全部競馬ですったっけ。

その頃、関西の関関同立といわれる名門大学を卒業したばかりの新入社員の社員さんは自分と同じ、いやそれ以上にシフトに入って手取りが10万円を切っていた。給与明細を見せてもらってビックリしたわ。

自分は以前話したように家で商売をしていたし、納税の申告なども手伝っていたので、このあたりの仕組みは理解してたけど、まともに就職するのが馬鹿らしくなったバイト仲間も多かった。フリーターという言葉が生まれて一般化したのもむべなるかな、である。

バイトをいくつも掛け持ちして貯金していて、将来の自分の夢を語るバイト仲間も多かった。バブル時代は全員が浮かれて遊びまくっていたようなイメージがあるかもしれないが、自分の夢に向かって遮二無二働いてた人も居たのだ。しかしそれも今は昔の物語である。(つづく)






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