「美味しんぼ」再読備忘録2024「女の華」‐第四巻「食卓の広がり」第2話‐
朝早くというかまだ夜が明けぬ時刻に築地の中央卸売市場に来ている栗田さんと山岡。中央卸売市場の職員の北尾さんに鮮魚部を案内してもらっている。東京の中央卸売市場は今は豊洲に移転している。豊洲の卸売市場の開場は平成三十年(2018年)10月11日だそうだ。あの移転に関しての騒動はまだ記憶に新しいところだ。
場内で喧騒が起こっている。その声を聞き、「あの声は夏子さん!」と飛んでいく北尾さん。後を追う栗田さんと山岡。若い女性が仲買いの「魚左田」の大将と揉めている。この女性が北尾さんのいう「夏子さん」であろうか。
野次馬が
「うひょう。威勢のよい若い衆だ。魚左田の親父を怒鳴りつけるなんて。」
「あの若い衆は女だよ」
「寿司屋の女主人だとよ」
と口々に噂している。
夏子さんの言い分はこうだ。用事ができて直接来れなくなったから電話注文で届けてもらったヒラメを見て、その質の悪さにビックリし怒鳴り込んだらしい。
そのヒラメを北尾さんと親父が食べてみて、夏子さんの言う通り、質の悪いものであった。素直に謝る親父。しかし夏子さんは怒りが止まらない。北尾さんもとりなすが逆に怒鳴られる。そして親父に「取引はやめる」と捨て台詞を残して去っていく夏子さん。
その姿に「すごい迫力だわ。それに颯爽として」と栗田さん。北尾さんから「なくなった父親の跡を継いで自分が先頭に立って切り盛りしてる」と聞き、興味が出た栗田さんは北尾さんを通じて取材を申し込むようだ。
その夜だろうか、北尾さんの紹介で夏子さんのお店、「寿司とも」に行った北尾さん、栗田さん、山岡。別のお客さんが歌舞伎役者の二人を連れてきて、そのうちの一人、若手の有望株の市橋菊蔵が「女が握った寿司なんか食えるか」と喧嘩腰で大声を上げる。夏子さんも黙ってはいない。大揉めになる。
そしてもうひとりの歌舞伎役者、女形の名優と名高い吉川清右衛門が彼をたしなめる。が、
ここ、喧嘩腰に来た相手には、受けて立ち、包丁を振り回す威勢の良さを見せた夏子さんだが、吉川清右衛門が静かに言って聞かせると、逆に驚くほどシュンとなってしまう。
今まで、若い女が寿司を握る、父親の跡を継いで店を切り盛りし、もしかしたら自分より年上の、しかも男性従業員を使う、ということで、片意地を張っていた、虚勢を張っていた、そうやって頑張るしかないと思っていた夏子さんの心に、女形である吉川清右衛門の言葉がズシンと響いたのであろう。
落ち込む夏子さんに山岡が声を掛ける。「休みの日にフランス料理を食べに行こう」という突拍子もない誘いである。名軍師山岡の出番である。
そして店の休日にそのフランス料理店で夏子さん、北尾さん、栗田さん、山岡の四人で食事をしている。
そして山岡がそのフランス料理店のオーナーシェフの長田さんを夏子さんに紹介する。
そしてここでも夏子さんはオーナーシェフの長田さんが静かに語る一言一言にも強くショックを受ける。
「女だから」「まだ若いから」などと他人からレッテルを貼られることをなにより嫌って、激しく反発してた自分が、一番自分の心にレッテルを貼っていたのだ。吉川清右衛門とオーナーシェフの長田さん、この二人の自然で泰然とした立ち振舞い、言動に触れ、それに気付かされたのだった。
そして…
再び吉川清右衛門を「寿司とも」に連れてくるまでが山岡の策略である。そしてその変化は吉川清右衛門にも認められ、メデタシメデタシである。
以前の「寿司とも」がこちら。やっぱこの雰囲気は吉川清右衛門さんでなくとも「トゲトゲしている」「お寿司がとんがっている」と感じるかもしれない。確かに行ってこれやったらビックリするかな。一回行ったらもうエエわってなるかも。
この「おい奴」って呼ばれてた従業員の皆さん、いきなり夏子さんが変わって、一番ビックリしてるの彼らやろね。まあ彼らも穏やかで明るい様子に変わってるので良かったんやろけども。
さて、話は変わって、自分の母親の話となるが、自分の父親と結婚し、自分を産んで育てたんやけど、自分が6歳の頃に父親が癌でなくなってしまうのです。
父親はその何年も前から入院生活であったし、自分はまだ小さい、そして商売は未経験なのに、果物屋を切り盛りして、父親の病院の看護もしながら、子どもの世話もして、旦那の病院代、生活費、子どもの養育費などを稼がないといけないというとんでもない状況に、結婚後すぐ追い込まれてしまったのです。
その時、商売、父親の看護、子育て、のなかで、一番ほったらかされたのが、実は子育て、つまり自分で、毎週末、近所に住んでいた母親の妹の家に泊りがけで行っていたのだった。夏休み、冬休みなどの学校の長い休みはとにかく親戚の家にそれこそたらい回しに預けられていたっけ。まあ、母親はそれでも大変だったと思う。
果物屋にはもう何年も働いてくれてた、一応任せられる若い衆が居たのだが、それでも母親は自分が先頭に立って切り盛りしないと相当に頑張った。さっきの夏子さんじゃないけど、朝早く起きて、大阪の中央卸売市場に行き、果物の仕入れなどを一から勉強し、果物屋が終わったら病院に見舞いに行っていた。
そしてこの若い衆が父親がなくなってしばらくして辞めてしまったのだ。素人の母親に顎で使われるのはバカバカしいとウチの店を見限ったようだ。金に鷹揚というかルーズであったらしい父親と違い、母親は仕入先からのリベートなどもらっていたらしいこの若い衆を信用していなかったようだ。
父親がなくなって、この若い衆がいなくなった、この時期の母親は果物屋が終わったら、晩ごはんなど作らず、家の近所にあった居酒屋で毎晩呑んだくれていた。酒を呑まなければやってられなかったのだろう。自分は泥酔しグデングデンになった母親の横でご飯を食べていたのをよく覚えている。
周りの人はこの母親の頑張りを好意的に見てくれていた。親戚はじめ市場の人など周囲の皆さんにも本当に色々と助けてもらった。そして商売もなんとか商店街がシャッター街となっていくなか、それから三十年くらい続けることが出来たのだ。
自分は今回のこのお話を今流行りのジェンダー論や男女同権論などの観点から語ることは浅学にして出来ない。また、女性らしい細やかさでお客が「とんがってない」寿司をくつろいで食べられるようになった、この変化を本当に良かったと思う。
しかし男の格好して、男言葉を真似て、つっぱらかして、父親のあとを継いで必死でやっていたであろう、この時期の夏子さんを、その頑張りを、自分は忘れることは出来ないし、あの若さでよう頑張ったなあ、しんどかったやろ、と褒めてやりたいくらいなのである。
だから山岡の友人らのなかでこの北尾さん夏子さんのカップルだけが唯一結婚式をあげて、子どもが出来たりとか、幸せな描写がないことを不満に思っているくらいなのだ。(つづく)