「美味しんぼ」再読備忘録2024「料理のルール」‐第三巻「炭火の魔力」第4話‐
鴨料理で有名なパリの高級レストラン「ル・キャナル」が東京に支店を出した。その開店祝賀パーティーに東西新聞文化部の谷村部長、富井副部長、栗田さん、山岡が招かれている。
着席して富井副部長が「はー、豪華そのもののインテリアですな」と驚きの声を上げる。それを受けて谷村部長が「数年前にパリの本店で食べたが、同じ内装だ。東京に出店するオーナーの意気込みが感じられるね」という。流石のジェントルマン、谷村部長である。
そこに当然、海原雄山も招かれてやってきた。フランス人のオーナーから挨拶があり、料理が運ばれてくる。出された料理に美味い美味いと大絶賛の富井副部長。東西新聞文化部一同がヒラメを使った料理にも舌鼓を打っていると、海原雄山が、
このように料理を批評する。また他の招待客も追従するのもいやらしい。そしてメイン、「ル・キャナル」の名物料理の鴨が運ばれてくる。
そして海原雄山が名物の血のソースをかけずに肉だけ持って来いといい、わさびと醤油で食べ、「このほうが美味い」と言い、さらにわさびと醤油と小皿を他の客の分もわざわざ用意しており、他の招待客にも振る舞う。招待客らもわさびと醤油で鴨を喰い、美味いと賛同する始末である。
他の招待客の分も用意するって、海原雄山って用意周到というか策士だよな。そしてそういうとこ、山岡も充分に受け継いでるよな。今までの困りごとも大体、そうやって一計を案じて、解決してるもんな。それ言われたら山岡は嫌がるやろけど。
その後の対決の場については今回はあまり語るつもりはないのです。まあ気になるといえば、会席のメニューで
海原雄山がカツオを出してこなかったらどうなっていたのか?。単なる幸運勝ちなのか?いやそうではなく、これは山岡の読み勝ちなのではと思います。
今の時期ならば、はしりの戻り鰹を出して「鰹の本当の旬は冬」と皆にドヤ顔するであろうという海原雄山の性格までキッチリと読み切っていての山岡の賭けではないか、いう部分です。
しかし、今回はこの鴨料理について存分に語らせてもらいたい。実はこの鴨料理をわさびと醤油で食べるエピソードはオリジナルではなく、これはかの美食家で芸術家として名高い北大路魯山人、つまり海原雄山のモデルとなった人物の、それも相当に昔のエピソードなのです。
それを当時の海原雄山に当てはめたのだから、そもそも少し無理があるのです。後には海原雄山は中華料理もインドカレーも西洋料理にも造詣が深いということになるのであるから許して下さい。
「美味しんぼ」では、北大路魯山人はこの前出てきた唐山陶人の師匠であり、海原雄山はその唐山陶人の弟子なので、海原雄山は北大路魯山人の孫弟子にあたるとの設定なのです。
そしてこの魯山人のエピソード自体がハッキリといつのものとはわからなかったが、戦後、フランスのパリ本店の鴨料理の有名店「トゥールダルジャン」で他の日本人らと会食したときのエピソードらしいのは確かです。
その時のエピソードはエッセイ集に収められており、今は青空文庫で読めるようだ。エッセイの初出は昭和二十九年とある。まず北大路魯山人のエッセイのはじめにこう書かれていることに注目してほしい。
「 かねて日本を出発する前から、フランスの鴨料理について、やかましく聞かされていた。
それというのも、一方的な西欧礼賛が多く、ほんとうのところは分ったものではないと、私はひそかに考えていた。フランスがどうの、アメリカがどうのと、親切に話してくれる人たちが、日本のこととなると、実はよく知らないのだから、話が初めから狂っている。
日本人にして、日本を知らない連中が向こうへ行くものだから、外国へ行っても日本のことを教えることができない。
これは日本のために大変な損失である。また外国のためにも損失である。」
この状態で、パリ本店の有名レストランに行って、血のソースでなく、醤油と粉ワサビと酢で溶いたもので食べたと聞くと、ちょっと魯山人に気持ちを寄せたくなってこないだろうか。
山岡が海原雄山に「料理愛国主義の発露でこっけいでみっともない」と作中で批判していたが、魯山人については、そう言ってしまうのは可哀想な気がするのだ。
そしてこの時に同席していたフランス文学の翻訳家・研究者の大岡昇平氏について、エッセイで触れられており、この鴨とワサビ酢醤油を振る舞われたことに対して、
「大岡氏は長らくニューヨークに滞在した後だったので、
『久し振りの日本の味だ。蘇生の思いがした。日本趣味のよさを改めて考えさせられた』
と、たいへんよろこんでいた。」と述べているのだ。
が、しかし、くだんの大岡昇平氏もこの時の話をエッセイにしており、それは「巴里の酢豆腐」という題名で、雑誌『あまカラ 1955年8月号』で発表されたものらしいが、その内容を紹介しておられる「近代食文化研究会さん(@ksk18681912)」のツイートをちと長いが引用させてもらおう。
夫妻で同席してたパリ在住の画家、荻須高徳は1901年うまれ、大岡昇平は1909年うまれ、魯山人は1883年うまれである。二十も三十も年上のヂイさんのこの行為は、田舎者がみっともない、と彼らに感じられたのであろうか。後で荻須夫妻、大岡で笑い者にしたようだが、どうみてもこの大岡はかなり嫌な奴じゃないか。
実はこの魯山人のエピソードは以前から知っており、自分も山岡のように「料理愛国主義の発露でこっけいでみっともない。しかし魯山人も明治生まれだししかたないか…」と思っていたのだが、今回この感想文を書くにあたって、色々調べてみてこの大岡氏の話に行き着いて、この展開に驚いているところなんですわ。
そして魯山人はこう言っている。「早速、ボーイが私たちのところへ持って来た鴨は、半熟にボイルしてあり、二十四万三千七百六十七番という由緒を示す番号札が添えてあった。ボーイは見せるだけ見せると、番号札を残して鴨を持ち去った。」
しかも大芝居をうってまで持ってこさせたその「見せ鴨」は「半熟でちょうどうまい具合に処理してあった。」とも言っている。食用でない「見せ鴨」であったようにも思えないのである。真相はどうなのだろうか。
また、魯山人のエッセイの最後にこうある。
ところが、出された葡萄酒が不味い。これが葡萄酒かと言いたいほど不味い。それもそのはず、一本七十円ぐらいの安物だ。
こんな安い葡萄酒を好かぬ私は、
「上等のブランデーはないか」
と、たずねた。すると、
「良いのがあるからどうぞ」
と、地下室に案内された。
見ると、葡萄酒の壜が、ほこりにまみれて何万本も寝ころんでいる。その酒倉のちょっとした席で待っていると、
「わざわざこんなところに来てくださって光栄に存じます」
というようなことを言って、マネージャーのような人が持ち出したのがたいへん美味かった。彼は、
「お気に召したら、どうぞ、いくらでもお飲みください。プレゼントいたしましょう」
と言う。さすがにそのブランデーは上等であった。そこで同行の士が珍しがって杯を重ねるとよろしくないので、
「プレゼントだからと言って、いい気になって飲むのは日本人の恥だ」
と、たしなめた。
フランスでも、やはりエチケットがあるのだから、有名なレストランだからと言って、わけもなく怖れることはない。
ちなみに、先ほどから鴨、鴨と言うが、それは昔の日本人が家鴨を鴨と間違えたのであろう。
ツール・ダルジャンの鴨も実は家鴨なのである。わさび醤油で食った家鴨は、家鴨としては相当に美味かった。
文中、「同行の士が珍しがって杯を重ねるとよろしくないので、『プレゼントだからと言って、いい気になって飲むのは日本人の恥だ』と、たしなめた。」とある。
たしなめたのは、魯山人であろうし、滅多に飲めないであろう上等のブランデーをいい気になって飲んでたしなめられたのは同好の士であろう。田舎者のヂイさんとバカにしてたら、たしなめられて、ずっと恨みに思っており、意趣返しであのエッセイを魯山人の死後に発表した、というのは穿ちすぎであろうか?。
また、フランス語がわかって注文出来るのは、フランス在住で案内人の荻須夫妻であろう。この鴨料理は一万円と魯山人は言っている。他にも料理が出てくるであろうから、もっとするであろう。それに合わせるのに七十円の安物のワインはないと思う。レストランから逆にバカにされてないだろうかと心配になるところでもある。
一流レストランに良いトシをした大人四人で来て、場末の居酒屋で飲むようなデイリーワインを注文してしまう、パリ在住の荻須夫妻の生活ぶりがうかがえないであろうか。
魯山人はエッセイの最初にこう言っている。
「フランスの鴨の話にしても、話す人間が話に聞くだけで、実際に行ってはいないらしい。なにしろ一羽一万円するのであるから、初めから敬遠しているのである。趣味も食道楽もあったものではない。向こうで日本人が行くところと言えば、場末の居酒屋みたいな小さな店である。しかも、その小さなお店で“学ぶ”という気持だから、自由な注文も質問もできはしない。
鴨料理の店「ツール・ダルジャン」のように堂々とした造りで、正装のボーイが鷹揚に構えているようなお店では、声も出ないのだろう。」
この場合、声も出ないのは誰であろうか?。もしかしたら魯山人にその貧困を暗に馬鹿にされるようなことがあったのかもしれない。この魯山人のエッセイを読んで、悔しかったのかもしれない。
とこんな風に魯山人のエッセイ、大岡氏のエッセイを読んで、深堀りしようとすればするほど、どんどんと怖い話になってしまったのであった。怖いのでこの辺にしときますわ。
最初書こうと思ってた筋書きと全然違うところに結末が行ってしまって申し訳なかったが、結果非常に面白い考察になったのではないだろうか?と自画自賛して終わっておきます。(つづく)