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「イーロン・マスク」と「アイアンマン」

 書店に行くとイーロン・マスクの伝記が上・下巻で平積みにされており、でかでかとプリントされたイーロンの顔、ぎらついたその目はともすればちょっとしたビッグ・ブラザーめいて見える。なんとなく書店によるという習慣は昔からあるのだが、そういうことを繰り返しているうちになんだかイメージが刷り込まれてしまったようなところがある。著者はウォルター・アイザックソン。アルバート・アインシュタインやベンジャミン・フランクリン、スティーブ・ジョブスなどの伝記をこれまでに執筆してきたようで、このイーロン・マスクの伝記を書くにあたっても彼への取材を数年単位にわたって続けたようだ。
 で、やっぱりイーロン・マスクほど、いま「世界を股にかけている」男もそうそういないだろう、とミーハーな俺は判断して読み始めたのだが、正直言うとほとんど内容を覚えていない。なんか会社を設立しまくったり部下の首を切ったりはむろんのことそうなのだが、あとは「ばかやろう指数(どうせfuckとかそんな感じのスラングの訳だと思う)」なんて造語が登場したりとか、なんかそんな感じのあまりよくない意味でアグレッシブなエピソードばかりで上下巻占められている。エネルギーのある人物ではあるのだろうとは思う。その行動原理にはほとんど迷いのようなものがあんまり感じられなかったし、その勢いだけで最後まで突き抜けているような印象さえ受けた。
 で、非常によく知られた話ではあると思うのだが、イーロンの前半生は満たされていたものでは決してなく、具体的にいうと父親のエロール・マスクの存在は非常に大きい。南アフリカの首都・プレトリア(南アフリカ出身の人物ではあと「指輪物語」の作者JRRトールキンが思い浮かぶ。それくらいしか知らない泣 日本にいるとそこまで南アフリカについて意識する機会自体がないので……それはそれとして非常に興味深い国であることは間違いない)で生まれたイーロンは、弟や妹、さらにいとこらとともに幼少期を過ごしたようなのだが、父親からの激しい虐待電車の中で人が刺殺されるのを目の当たりにしたり、などのエピソードが際立つ。全体的に「死の恐怖」に取りつかれている、という印象は受ける。父親のエロールは技術者で、マスク家自体もイギリスにそのルーツを持つ富裕な一族だったため経済的に困窮していた、というようなことはなかったようなのだが、とにかくまあエロールに関しては非常に気性の荒い人であったことは確かなようである。イーロンの顔面が腫れあがるまで殴打されたとかの話が目立つがこの調子だと弟のキンバルや妹のトスカも被害に遭ってそうなんて考えたりする(そこのところの記述は見当たらない)。あのイーロン・マスクが成人してから父親との会食に臨むだけで手が震えていたりだとか少しばかり想像ができない。
 で、イーロンの子どもは9人とか10人とか野球チームを結成できるくらいの人数の子供がいるわけだが、そのうちの一人ゼイビア・マスクが問題である。”意志が強く、資本主義や富を憎む子供に育った”彼は16歳で女性として生きていくことを決意し性転換手術を受け、いまやイーロンとは絶縁状態にある。彼、というか彼女についてもう少し知りたいのはむろんのこと山々なのだが、あれだけの富がある環境で育ったとしても親子関係が必ずしも良好になるとは限らないのは、むべなるかなという感じだ。父親のイーロンも彼、あるいは彼女との和解を何度も試みているようだが成功してはいない。ここまで書いてみて極めて「家庭的」な話になってしまったが、このようにしてプライバシーもへったくれもなくなってしまったイーロンが多少気の毒にも思えてくる。有名税というのはあるだろう。
 そして、俺がこの伝記の中で最も注目したいポイントというのがあって、実はあの「アイアンマン」のモデルがイーロン・マスクのようなのである。確かに俺もアイアンマンの本編を視聴していたときにトニー・スタークがなんだかイーロン・マスクみたいないけすかないやつだなという感想を抱いたのだが、まさか本当にそうだとは思わなかった。ぶっちゃけ眉唾ものの情報としか思えないなのだが、SpaceXにロバート・ダウニーJr.と監督のジョン・ファウローが訪れて、取材までしたいらしい。さすがに一企業の社長がアメコミのヒーローになってしまうのはなんだか「広告」じみている。というかそもそも著者のウォルター・アイザックソンとイーロンとの間にどういうやり取りがなされたのかはわからないが、この伝記自体がある種の「広告」の可能性もむろんある。そういう文脈に則って言えば俺はいつの間にか、気付かぬうちにイーロン・マスクに頭を乗っ取られているのかもしれなかった(なんということだ!)。イーロン・マスクの取材をした上で書かれた伝記なのだから、そこにイーロン本人による「検閲」が入っていないわけがないのだ。よく考えればいたく自然のかとのように思える。
 「アイアンマン」に話を戻すのだが、俺はどうにもこのトニー・スタークの持つ極めて大きな「後ろめたさ」のようなものに、不可思議な「既視感」を感じ取らざるを得ないのだ。いわゆるMCUとかDCエクステンデッド・ユニバースとかなんでもいいのだが、その類の映画は何本か一応チェックはしてみており、その中でも「アイアンマン」に関してはだんとつで一番面白い。兵器を開発し世界中にばら撒いていた張本人であるところのトニー・スタークが新兵器のプレゼンテーションのために訪れていたアフガニスタンで捕縛され、共に囚われていたアフガニスタン人の科学者に命を救われるという出来事を経て「改心」をし、スーパーヒーロー・アイアンマンとして人々を救う存在として生まれ変わる、という、おそらく賛否は激しく分かれるとは思うのだが、ここまで大きな矛盾を体現したキャラクターを、あろうことかスーパーヒーローにまでしてしまうというのもなんだか半端ではないような気がする。冒頭でトニーが乗っていたジープを襲撃するミサイルにはトニーの運営する会社スターク・インダストリーズのロゴが描かれている、というのは象徴的だが、これでは世界を破壊することも、世界を救うこともすべてトニーただ一人の手にかかっているような印象さえ受ける
 そして、「アイアンマン」のラスボス、最大のヴィランはトニーをとらえたアフガニスタンのテロ組織ではなく、トニーの会社の共同経営者であるところのオバディア・ステインであり、そしてオバディアはトニーの父親の「盟友」だった男である、という点が非常に重要だ。トニーの父親、ハワード・スタークは故人だがスターク・インダストリーズを設立した張本人であり、直接登場してセリフを発したりするようなことはないがトニーへ及ぼす影響は非常に大きい。ハワードは直接登場することがないのでその具体的なキャラクターを掴めないのだが、その「盟友」だったオバディアがトニーを殺害し、スターク・インダストリーズを乗っ取ろうと画策していたところから、ハワードは少なくとも「盟友」だったはずのオバディアから、どういう形であれ「憎悪」を向けられていたことは推察できる。つまるところトニーが父親から引き継いだ「資本」あるいは「技術」の力は、世界を救う力としても破壊する力としても捉えることが可能であり、極めて両義的な描かれ方がされている一方で、どちらかと言えば父親の残した「負の遺産」はオバディアの存在のほうという解釈ができ、さらに掘り下げていうとアフガニスタンでトニーを殺そうとし、拉致・監禁までしたテロ組織よりも、ずっと身近な場所にいて、企業の共同経営者だったオバディアのほうがよほど「危険」だったということなのだ。オバディアはハワードの暗黒面を体現しているように見える。
 イーロン・マスクに話を戻すのだが、結局のところ彼がなんで火星を目指すのかについていまひとつ理由がよくわからないところがあり、彼が学生時代に壮絶ないじめを受けていた時に読み漁ったSF小説(特にアイザック・アシモフの「ファウンデーション」が大変気に入っているらしい)の影響を強く受けている、というのは繰り返し語られる話だと思うのだが、こごまで書いてイーロン・マスクについて諸々考えを整理してきてもなお、彼がどういう「思想」に基づいて行動しているのか全然わからないのである。まるで常に躁状態のようになってまで、彼がなぜ「人類を火星に送る」ことにそこまでこだわっているのか。根源的な「何か」に対する執着、あるいは自分の人生の意味がどうだとか、人類の未来がどうだとかというよりは、とにかく生きている限りは無限に「上」を目指さなければならない、という、彼の中で自明の前提がすでに出来上がっているようにすら見える。そこに理由なんてなく、ただ父親から気絶するまで袋叩きにされる、という強迫的な「おそれ」だけしか残っていないのではないだろうか? さらに言えばその空疎ながらも圧倒的な「資本」や「技術」の力の勢いに、唯一着いて来れなかったのがゼイビア・マスクだったのではないか? と、ここまで勢いで書いてきたのだが、なんだかイーロンに申し訳のない気分になってきてしまった。ごく普通に「SPY×FAMILY」を読んだりして、作者の遠藤達哉のアカウントに勝手にバッジを付与する、といったようななんだか小学生みたいなことをするイーロンについてあれこれ好き放題描き散らかすことに後ろめたさのようなものがついて回るのだが、まあそんなことを言っていても仕方がないのでそのまま記事をアップすることにする。


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