サノバビッチ

新しい朝が来た。希望の朝だ。

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最近の記事

視聴記録:ロマン・ポランスキー「オリバー・ツイスト」

 「孤児」を主人公とした物語の類型があるらしい。このことを言っていたのは確か大塚英志だったかもしれないが詳しいことは忘れた。たぶん、いろんな学者が似たようなことを主張しているはずである。  ローマ帝国の源流を辿っていくとオオカミの母親に育てられた「ロムルスとレムス」という双子の兄弟の伝説に行き着くのだが彼らも「孤児」である。日本にスライドさせて当てはめてみると「桃太郎」だってどんぶらこどんぶらこと川から流れてきておばあさんに拾われたので「孤児」だ。そうすると「スター・ウォーズ

    • 雑感:「伝記」について

       小さい頃は家にあった偉人の伝記の漫画を読んだりすることがあったのだが、当時から、いや、幼少の時分だったからこそ「死に方」に注目して読んでいたところがある。ぶっちゃけ漫画の最後のほうだけ確認してから読む、みたいなこともしていたはずで、子供というのはたいていそういったような身もふたもない発想をする。子供というのは、時に、というかむしろ大人なんかよりもよほど残酷なことを平気でしたりするわけで、アリの巣を水攻めにしたりとかがその好例かもしれない。要はセンセーショナルだったりショッキ

      • 雑感:「刺激」について

         視覚と聴覚と触覚と、ありとあらゆる方面からの単調な刺激で、スマートフォンに完全に縛り付けられている人がいるとする。スマートフォンというのは極めて狭い、「向こう側」へと通じる窓だ。「社会の窓」とか俗に言うズボンのジッパーではないが、そうそうそれを開けたり閉めたりしてコントロールできるのは、やはりそれ相応の訓練を積んだ人でないと難しいだろう。なんかこの書き方だとまるで俺が常にズボンのジッパーを絶えず開けたり閉めたりしている人みたいになってしまうので書き直したほうがいいのかもしれ

        • 雑感:「構成力」について

           「構成力」というのはむろん文章の構成力のことであるが、もう少しほかのことにまで敷衍して当てはめられるかもしれない。文章というのは、いわば思考の鋳型なのである。  文章の構成力を上げるために何をすればいいのか? ということを考えた結果、「構成力」についての文章をしたためることにしたのである。やろうと思えば、ChatGPTでもGeminiでもClaudeでもなんでも使っていくらでも文章を生成できる2024年11月現在、わざわざ自分で文章を書かなければならない理由があるとすれば、

          雑感:「鴨川」について

           京都へ行った時には鴨川へ寄り「鴨川等間隔の法則」があるか確かめることをやる。俺は高校生の頃、森見登美彦の小説を読んだりしていたので、「聖地巡礼」くらいのことはやる。やはり「四畳半神話大系」が出色の出来であり、次点で「ペンギン・ハイウェイ」がくると思っている。「有頂天家族」はもう少し夷川海星の出番を増やしてほしいのだが、まあそれはとりあえず置いておくことにする。  で、鴨川の話になる。鴨川に行くとそこではもう完全に時が止まってしまったかのような趣があり、これではまるきり「終わ

          雑感:「鴨川」について

          読書記録:ジョージ・オーウェル「1984年」

           英語圏で「読んだふりをする小説」の堂々たる第一位らしい。  最近では山形浩生の新訳が出て、挿絵を「少女終末旅行」のつくみずが担当したことで話題になった。新宿の紀伊國屋書店に立ち寄った時平積みにされていて、表紙にでかでかと「バベルの塔」を連想するような巨大な塔が描かれていたことが印象深い。巨大な全体主義国家を「塔」というメタファーに置き換える感性はいったい何に由来するものなんだろう、とぼんやり考えたりする。ヒエラルキーをピラミッド状に表したりとか。少数の人間が多数の人間を踏み

          読書記録:ジョージ・オーウェル「1984年」

          読書記録:メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」

           青空文庫で無料で読むことができる。  言わずと知れた名作扱いの小説なわけだが、これがそもそもレマン湖(スイスにある)のほとりにある別荘(主人は有名な詩人ジョージ・ゴードン・バイロンである)で仲間たちと集まっている時に、「一人ずつ怪談話を作って披露しよう」というアイディアで始まった催しで、そこで作られた物語を前提に着想しているようなのである(「ディオダディ荘の怪奇談義」として知られているらしい)そんな百物語みたいなことを19世紀の西欧人もやるのか、と思う。どうやらこの時「吸血

          読書記録:メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」

          読書記録:梶谷懐・高口康太「幸福な監視国家・中国」

           なんで「幸福な監視国家・中国」を読もうと思ったのかというと木澤佐登志・江永泉・ひでシス・役所暁「闇の自己啓発」の中で「課題図書」として取り上げられていたのを目にしたのがきっかけだった。「闇の自己啓発」は読書会という形式が取られている本で、ほかにはニック・ランドとか海猫沢めろんとかの著書が取り上げられていたわけだが、その中の一冊がこの「幸福な監視国家・中国」だったのである。  タイトルからしてかなり捻くれた内容であることが想像できたし(何せ、監視国家を、「幸福」などと言ってし

          読書記録:梶谷懐・高口康太「幸福な監視国家・中国」

          概念化(がいねんか)について

           俺がいま最も必要としている能力はなんなんだろう? ということを延々考えていて、とりあえずそれに名前をつけて具体化させることにした。諸々の候補の中から、一番それらしいものを選び取ると「概念化(がいねんか)」がしっくりくることに気づいたのである。  ほかには「具体化(ぐたいか)」や「抽象化(ちゅうしょうか)」(この二つのコンセプトに関しては明らかに相反するものなので、これを選択するとさらにややこしい事態になりそうだったため、避けたという経緯がある)などの候補があった。これらの語

          概念化(がいねんか)について