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探訪記録:「東京ジャーミイ」
東京都内にモスクがある、という話を聞いたので、実際に行ってみることにしたのだが、最寄りの表参道駅で降りてしばらくGoogleマップで確認しながら歩く。表参道という街にはどうにも馴染めない。新宿の小汚い雑踏の中のほうがむしろ溶け込めそうな気さえするし、中野や巣鴨の素朴というかやや寂れた街並みのほうが性に合っているのである。しかし、そんなこんなで歩くこと数十分してからgoogleマップを確認してみると、どうやら表参道駅よりも代々木上原駅のほうが近いということが判明した。そんな、と思う。Googleマップは定期的に、ありもしない方角を指し示したりとか、突然、なんの脈絡もなく矢印が反対方向を向いたりとかするのである。ノースアップとかヘディングアップとか覚えても、正直言って衛星のせいなのか機器のせいなのかはよくわからないけども、googleマップをそこまで当てにするべきではないのかもしれなかった。今まで歩いてきた道のりは一体なんだったんだ、と想う。脇に何やらだだっ広い公園があると思ったら代々木公園であり、その日は雨上がりで路面のコンクリートは水浸し、行き交う車がじゃばじゃばと水飛沫をあげるのでズボンに水が引っかかるような気がしてならない。こんな中40分とか歩いて行かなきゃならないのか、と思う。しかし電車にわざわざ乗るのはもったいなかったため、やたらと上り坂や下り坂で凹凸の激しい道を延々と歩いて行った。はっきり言って、Googleマップがポンコツなのと、時間を多少浪費しただけではあるのだが、こういう細かいところでいちいちままならなさを実感するのだ。なんのままならなさというと人生の、だ。本当にすぐに規模のでかい思考に飛んでしまうのは自分でももちろん思う。こういった細かいロスの積み重ねになって、さらに、もっと大きな問題が発生するものだ。唐突に戦争が起こるだとか、AIが人類が滅ぼすだとかそういった大規模なことが突然起こるわけではない。少なくとも、俺の身の回りではこういったことが、ゆっくりと、だんだんと大きなウェイトを占めるようになってくるのだ。
途中でスクーターみたいなやつが道端に置いてあり、これは小泉純一郎が乗ってたやつだ、となった。本物を見るのは初めてだった。代々木上原ではこれがそこらじゅうに置いてあるようで、道端でそういうスポットがちらほらと目につく。タクシーよりも気軽に移動できるので、たしか中国大陸ではかなり普及しているんじゃなかったっけ。こないだ読んだ「幸福な監視国家・中国」で書いてあったのである。なんというか、全然わからないのだが、個人の「所有」という概念の薄そうな国っぽさは確かにあるかもしれない。自分で乗っかって移動して、そこに置いておく、みたいな感じなのだろうか。
しばらく歩いていたらいつの間にか通り過ぎたようなので戻る。二階建てになっており、建築に関してはよくわからないのだがそんなに目立たなかった。当初、マンションか何かだと思っていたのである。どうやら二階が礼拝堂になっているようで、一階はエントランスとして使われているっぽい。入ってみると、当たり前だが肖像画の代わりにアラビア文字でなにごとかを記されたものがでかでかと額縁に入れられており、なんというか異国のものであることを実感する。偶像を描いてはならないというのはむろん知っていたけども、風景画ですらダメなのかしら、なんて考えたりする。アラブ世界ではそういえば偶像崇拝が禁止されているので、チェスの駒ですら形が違う、という話を思い出したりする。俺はチェスも将棋もあのシステマティックに動く世界観が実に冷淡で好きなのである。それこそ人々を「駒」として使い捨てにするのはなかなか「戦争」じみたむごさがともすればそこにはあるのかも知れなかったが、あのかっちりと厳密に設定された動きや、画一的に整えられた駒や盤のフォルムを見ていると、そういった背景があるのを忘れさせられる。そういったところにそれらの類のゲームの魅力というのはあるのかもしれない。しかし、チェスなキングやクイーンの形なんかを見ていると偶像というよりは「記号」としか思えない。まあおもに「偶像崇拝」として注意の対象になったのはナイトやビショップにあたる「ゾウ」だったようなのでそこは関係なかったようなのだが。
ほかの部屋に移動してみると壁一面が本棚になっており、本が敷き詰められている。一冊を取り出してみるとなぜかアラブ語版の「キャプテン翼」だった。ドラえもんとかワンピースとかのアラブ語版はないかな、なんて探したりしたが残念ながら見つからない。アラブの歴史についての本を適当に一冊出して開いてみると、正統カリフ時代の時期についての記述してあるページだった。正統カリフ。世界史の教科書に載ってたな、なんてことを考えながら戻す。たしかやたらと王朝の名前が大量に並んでおり、これを全部暗記しなきゃいけないのは大変そうだと思った記憶はある。世界史の教科書は手元にあったのだが、俺は世界史選択ではなかった。授業でやらない範囲のことを知るために教科書を開くのは楽しい。なぜならそこには責任が発生しないからだ。固有名詞を覚えているだけでなんだか賢くなったような気分になれるのでいいものだ。
部屋の中には人がおらず、せっかくトルコ風のものと思われる調度品で整えられたきらびやかなホールは閑散としている。壁にデカデカと掲げられているデジタル時計は謎のカウントダウンを始めており、どうやら一日五回ある礼拝の時間を知らせるためのものらしい。ハラールショップ、というのがあったので入ってみたのだが基本的にアラブ文字のようなもので記された缶詰が大量に並べてある。正直言ってそこまで特別なものはない。案外値段を見てみるとそこまで高くない。脇には高校生らしき少年が立っており、冷蔵庫の中に敷き詰められた冷凍チキンを観察している。こういう施設を訪れているだけあってちょっと際物なのかもな、なんてことを勝手に考えたりしていた。なんだか申し訳がない。
二階の礼拝堂まで登ってみると他にも客が来ている。天井を見上げるとアラベスク模様が一面に展開されており荘厳だ。建物の内側にバルコニーがなぜかあり、これが装飾なのか実際に使われることがあるのかはよくわからないが、たぶん前者なのではないかという気がする。端のほうではまだ礼拝の時間ではないはずなのだが、おそらくアラブ語で何やら唱えている人がいる。当たり前のことながら内容はぜんぜんわからない。
しばらくそこにぼんやりと佇んでいたわけだけど、とりあえず早く帰ろうと思って後にした。