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「ドーナツホール」と「ウミユリ海底譚」


 2024年9月に、米津玄師の「ドーナツホール」の新しいMVが公開された。
https://youtu.be/y7fu_nNQAEQ?si=jZUw9YwxwJlzNVWy
 文明崩壊後を思わせる退廃的な風景と、主要登場人物らしき四人はボーカロイドのキャラクターのようだ(ボーカロイドについて明るくないので、誰が誰で何という名前なのかすらわからない)が、途中から何やら黒く、大きく、大蛇のようにうねる異形のクリーチャーと、それを銃撃して倒し中から出てきた丸い、なにやらぬいぐるみめいた生物が目を引く。それと途中で何やらスーツを着込んだ女性が何らかの議会? なのかよくわからないが、議会のテーブルについていたり、何かしらの裏で悪どい策謀を張り巡らせているかのような場面が挿入されたりする。はっきり言って仕舞えばセリフが一切ないのでこちら側の解釈に全部委ねられているので、何とでも物語を組み立てようがあるのだが、それにしてもここに登場する様々なモチーフの数々は興味深い。当たり前だが米津玄師本人の「検閲」もあるだろうし、ある程度この「ドーナツホール」という曲の内容と照らし合わせて考えてみても面白そうだ。
 俺はこの「ドーナツホール」の楽曲自体本当に擦り切れるほど(レコードやCDではないので、この表現は無論のこと比喩である)聴きまくったりしていたので、このMVが公開された時も早速視聴して「こりゃいいな」と思って、このようにして、いま、諸々書き出すまでに至った次第である。やっぱりいつ聞いてもキレキレなのである。おんなじ曲ばかり繰り返して聞くのはともすれば悪い影響も出てしまう場合も無論あるのだが、まあそれはいいのだ。言ってしまえばこの音楽に対してそれだけ少なくない時間を費やしてきたのだから、それなりに俺のアイデンティティを委託することはできているはずなのである。この曲は俺の一部と言っても過言ではないのかもしれなかった。
 古いバージョンのほうのMVは米津玄師本人が書いたイラストで構成されており、彼が多才な能力を持った人であることがよくわかる。https://youtu.be/qnX2CdOBcDI?si=i2Z-EAoCVvmP-OBT

 特に終盤の跪きうずくまる様子が深い「喪失感」を感じさせ、なんとも言えない余韻を残す仕上がりとなっている。ぶっちゃけ男なのかも女なのかもよくわからないが、”あなたのくれた体温を忘れてしまった”のと”バイバイもう永遠に会えない”ことから何かしら失恋をしたのかもしれない。喪失感、空虚さ、空洞を”ドーナツの穴”と表現するところに米津玄師っぽさが現れていると俺は考えており、そういった暗く、メランコリックで、ともすればかなり悲観的なサムシングになるかもしれない「それ」を「ドーナツ」という身近で親しみやすくポップなものに置き換えることで、聴衆のイメージを喚起させるねらいがあるのではないかという気がする。「パンダヒーロー」のパンダなんかもその好例だと思うが、”左手には金属バット”を携えた「野蛮さ」や”白黒曖昧な”「悪」のイメージを、パンダという動物園じみた、能天気な表象にすり替えるというある種のミスリードのような意図があるように思える。そこには点々と配置されたアイコニックなシンボルと、そのバックにあるエモーショナルな力の流れ、その両者の水際だった対比がある。
 そもそも冒頭の一定のビートを刻む(音というかリズムというかそういう作り方を表現する専門的なタームは絶対に調べれば出てくるはず。何せ俺は音楽に関する知識が一切ないのでそこのところは全然わからない泣)ところはかなり中毒性のようなものを感じさせるのだが、こちら側の意志に関係なく、決まりきった速度とタイミングで反復を繰り返す、何か大きなものが迫りくるかのような緊迫感とでもいえばいいのか、いや、なんだかかなり軽くて呑気な「音」を多用しているところがかえってそのヤバさのようなものの本質が宿っているような気さえする。まあさっきの「表象」の話と引っかけると、米津玄師が人の持つ「情動」の力を構造的に捉えていることが窺える。たぶん音楽理論? とかなんかよくわからないがそういうところね何かしらの定義づけがなされているんじゃないかしら。
 ところで、話が変わるのだが同じような「構造的なもの」をヨルシカの音楽にも感じる。ヨルシカの曲はおそらく全体の九割くらい聴いているのだが、最近聞いたやつだと「ウミユリ海底譚」がある。
https://youtu.be/7JANm3jOb2k?si=i6C8o2O12j7m9_fl
 これも非常にいい。n-buna もボーカロイド出身なので、ボーカロイドってネット文化の代表格だからすごいのかもしれない、とか考えたりする(中学時代に一切通らなかったことが悔やまれる!)。この「ウミユリ海底誕」に関しても深い「喪失感」海という広大で茫漠たる背景との「対比」がある。たぶんこれは初期の作品なのだろうが(何せ名義が違う)唐突に挿入される「僕が殺しちゃった」という歌詞なんかはのちのヨルシカの作風に共鳴するものというか片鱗を感じるし、それと海辺と「悲哀」には謎めいた相性の良さがあって、不可思議だ。こごまで書いてちょっとLiminal spaceとの関連が頭の片隅によぎったのだが、海辺をLiminal spaceにカウントしていいのかを俺は判断しかねるのだがまあなんでもいいかもしれない。この「ウミユリ海底譚」に関してもそういった「ドーナツホール」に通じるある種のミスリードのようなものは感じ取れるし(ポップな出だしとか)、米津玄師とかヨルシカ以外にこういった極端な振り切れのようなものを感じる音楽家について全然知らないので(頑張ってディグったりすれば出てくるかもしれないが)ひたすら繰り返し聞いているという感じだ。基本的に音楽は少数のものを繰り返し聞く習性があるので……
 


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