No Racism ! 差別をなくせ!... るのか?
私は現在ドイツのベルリンで生活をして、常に外国人としてこの国で生きている。そして日本に帰る時には外国人の夫を連れて帰国する身だ。
朝日新聞Globe+ の記事『温泉拒否、「外国人専用」…根深い日本人の差別意識 「つり目」されてもトンチンカン』
https://globe.asahi.com/article/14397420?fbclid=IwAR319cljcr1PDUZ38TvwbuL7xzcjvG2HO_8Qa2iB42uivz8RwAOjfEDVbm0
上の記事に書かれているような「人種差別を巡る認識のギャップ」を日本に住んでいる方達も知っておいていただきたいと思い、あえてこの記事に添えて、今感じている事を書き残しておきたいと思う。
少子高齢化で、政府の政策からしてもこれから日本の国内もどんどん国際色豊かにならざるを得ない状況だろう今、外国人か日本人か、のような雑な区別差別的発想は「どの時代に生きてらっしゃる?」といいたくなる。
日本は島国で、国民の約半分の人々が海外旅行をしないまま一生を終えるのだとしても、海外から人を受け入れ送り出し国際交流をして経済や社会生活を成り立たせている以上、この感覚がアップデートできないと、国際社会との折り合いは致命的に難しくなっていくように思う。私も何度か遭遇した「日本国内での外国人に対する意味の分からない上かの対応」、、なんですか、あれ?? 日本の固有の文化や振る舞い、生活がある、それを守りたいなら、どうにか共有共用出来るように、理解を催したり、きちんとコミュニケーションしてほしい。そうでなく、ただの差別行為だったんだとしたら、、、むしろ江戸時代のように鎖国してほしい、、、恥ずかしいから。
<差別⇄逆差別>
国外(欧州)生活者の私自身は、アジア人差別者に対して「こういう価値観を持つ人もいるんだ」という認識を常に持ちながら暮らしている。日々生活の中で、これが許し難い差別ではあるが、実際そういう考えの人々の中で生きているのだから、分かっていないと自分自身が傷つく。それは独日ミックスの我が家の子ども達にも教えている。
日々の日常の中でごく普通にある差別、その感覚は歴史と共にある感覚だからちょっとやそっとで変わることではない。結構根は深い。そして、人間として、「人と比べる」感覚はいつでも付いて回る。だから、そもそも稚拙な人類社会の中からは、きっと今後も、世界中のどこからも、差別意識の根絶は無理だろうと個人的には思っている。
人間は差別をする生き物だ。
「差別をなくそう」と理屈の上で人は理解できても、本能で出来るかというと、正直無理なように思う。なので差別をしないという行為が出来るかできないかは、人を選ぶのだと思う。どういう事かというと「そのモラルに対しての努力や注意を日常生活の中で出来る人間か、できない人間か」という事である。
詰まる所、この考え方自体がまさに差別的思考であって、差別が嫌いだという私も差別を辞めれないさもしい人間で、悲しい存在なのだ。
勿論、色々な文化背景を持つ人間同士が、相互理解し、共存し、許容していける人間社会を、未来に実現したいと心より願っているひとりだと自負するのだが、「人間社会の中から差別がなくなるかは」分からない。上にも書いたが、このままの感じでは、差別は無くならだろう。
「差別をなくそう」と端的に声を上げる事だけでいいのか。
綺麗事で終わらせない為の思考。
実際、この極々普通に心の中に湧き出てしまう差別感覚を持ちながらも、社会生活の中では差別をしないように考えられる人間が増えるようにするには、そこの間にある感覚の共有とオリエンテーションがもっと人間には必要なんじゃないか。ここの部分の心情的な思考の共有や教育を人類にすべきじゃないか。という事を悶々と考えてもしまう。社会生活上の差別を無くしたいなら、ここのモノサシが曖昧だと難しいんじゃないんだろうか。
あー話が明後日の方向に走ってしまった。すみません。
まー、アイプチには笑った。
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