変わってしまった生活と介護の自己嫌悪
今日はイマイチな日だった。
平日は、楽しい!
なんて日はないけれど、
プラスかマイナスでいったら、
今日はマイナス寄り。
3年前。
1人で暮らしていた今日、何をしていただろうかとiPhoneで写真を探してみた。
さらに見るとこちらの写真。
三宅美術館に行ったんだと思う。
まだコロナ禍で、
鹿児島に着任して、荷物が来ないからホテルに2泊して、やっと家に入ったのが確か4月3日だったと思う。
そこから2週間後くらいに行った美術館でホットケーキを食べたのだ。
記憶が蘇る。
ものすごく遠く、再び地元とは地続きではなくなり、見知らぬ土地に来てしまったなぁという孤独感はあったが、3回目の転勤で前よりは慣れていたと思う。
ひとり時間。
どう過ごすか考えることもできた、
今思うと自由な時間。
3年後の今日。
今、介護を一時的に放棄している。
母の歯磨きとトイレをしたかったが、また母がごねてトイレに50分かかったのだ。
動かない、手すりを離さない、
移動しない、その他諸々。
歯磨きをそのままする気力なく、リビングに座らせて逃げてきた。
やだ。
戻りたくない。
そんな訳で逃避してこれを書いている。
トイレのすったもんだで、母と揉め、自己嫌悪。
疲れたなあ。
仕事も相変わらずモヤモヤするし。
ほんの数年で変わってしまった私の生活。
ひとりでのんびり家飲みもなし。
気ままなあの時間は今はない。
仕事は忙しくて毎日残業だったけれど、それ以外は自分時間だった。
でも、分かっている。
きっと遠い将来、
母と暮らした今の時間が
大事だったと思うだろう。
そして、母にもっと優しくしておけば良かったと後悔するのだ。
それは嫌だ。
もう一度階下に降りて、歯磨きトライしよう。
お世話できることも感謝なのだ。
イライラしても思い出そう。
自己嫌悪の時間は終わりだ。
母の世話が終わったら、片付けをして、少し自分の時間を楽しもう。
くたびれたから、絵を描くのは無理だな。
ぼーっとするか、本を読むか、
気になっている『葬送のフリーレン』を見るか。
その前に、母をなんとかしなくては。
いってきます。
修行がまだまだ足りない私なのだった😭