親の看取り意見交換会に参加して
親の看取り意見交換会
noteで知ったこちらの意見交換会に参加した。
オンライン形式(zoom)で2時間。
今回参加者は3名で、主催者サイドと合わせて6名での実施だった。
参加してとても良かった。
(意見交換会だから、迷ったが私もたくさん発言した。)
昨年から介護で吐き出したくなった時、私はいくつか友達をはじめ、ロバの耳を持っているのだが、公的機関での相談窓口よりも、終わった後にスッキリしたし、また参加したいなと思えた会だった。
主催者の方
せのようこさん
山川さちえさん
郷堀有里夏さん
私の主観だが3人の方のバランスがとても良くて。
明るくハキハキのせのさん。
控えめで落ち着いて柔らかな山川さん。
その中間の郷堀さん。
このような会を、無料で、しかも本当に参加者の立場を理解しようと、そして何とか楽にしてくれようと、心を砕いてくださっていることがヒシヒシと伝わってきた。
感動してしまった。
簡単な言葉で片付けられないほど、
その時もありがとうの気持ちでいっぱいだったが、後からどんどん感謝の気持ちで心の中が満たされてきた。
本当にありがとうございました。
備忘録
私の心に届いたものがたくさんあったけれど、いくつか記録しておく。
『介護は家族がする前提ではない世界があること』
→日本はまだこの感覚が多いが、外国は違う。
もちろん個々の事情があるから、介護の専門家に任せること、家族ができること、いいとこどりをすれば良い。
介護者にも人生がある。
→だから、介護はできる範囲でいい。
これはいろんな人が言ってるけれど、せのようこさんの実際のお言葉はとても響いた。
私が最近自分の遊びをすごく入れ始めたこと(いいのかな?と思っている節があり)による申し訳なさを吹き飛ばしてくださった。
遊びの予定を沢山入れてると言った私に拍手して喜んでくださったのだ。これって本当に気が楽になった。
『喪失感』からの立ち直りに効いたこと
→悲しい感情は溜めると増幅するから、溜めずに出すこと。
人に話す。アウトプットする。
一度大切な人を亡くして、その喪失感から次に母の番が来たらどうしようという不安を相談した時にもらった回答。
溜めたらだめだと肝に銘じる。
今から話す人を沢山予約しておこう。
(その時は暗い話でも聞いてねって。)
親の最後の瞬間に立ち会えなかったら。
→家で看ている方が意外に最後の瞬間に立ち会えない。(知らなかった)
でも、暮らしの中で、日常生活の中で自然に逝くことと捉える。
その瞬間に立ち会えなかったとしても魂はまだそこにいる。
亡くなった方もひとりで死んだとは思っていない。
この『日常の生活の中で自然に逝く』という考えは私を楽にした。
他にもたくさんあるのだがキリがないのでひとまずこの辺で。
家族が介護すること
母が私のことが分からなくなったら施設を考えようと思っている。
この記事、分かる気がするのだ。
思い込みだとは思うけど、やはり施設に行ったら大勢の中の一人。
母の認知はあっという間に悪化しそうで嫌なのだ。
私と家族がいることで、身体の自由は効かなくても心の平穏は可能な限り保ってあげたい。
もちろん私たちの対応で心が不穏になることも多々あるだろう(苦笑)。
でも家族と暮らせる間は一緒に過ごしたい。
多分母のためより自己満足の世界だと思う。
親の看取り意見交換会で、
親も最後は赤ちゃんみたいになる。
という話が出た。
その赤ちゃんを他人に委ねたくない。
もう少し頑張る。
また『親の看取り意見交換会』、利用させてください。
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