多文化断絶社会とエリートの欺瞞
ニュージーランドでモスクを銃撃する事件が発生。犯人は28歳オーストラリア人。死者は49人。
確かにこの件はヘイトクライムではあるでしょうが、短絡的な反差別団体の連中は反イスラム、白人至上主義、移民排斥思想だなどと単純なイスラム=差別される側、白人=差別する側の構図に落とし込みたいようですが、ことはそう単純な問題ではない。
というのは、反イスラム感情は世界各地で発生しており、イスラムや人種に関わる問題が複雑に絡み合っているという事実があるからです。
オランダにおけるイスラム問題
オランダでは90年代に政治家がイスラム教について否定的な発言をすると、人種差別を煽ると非難を浴びました。しかし、その中でも多くの国民はオランダにはイスラム教は馴染まないということを感じ取っていました。
2013年に行われた世論調査では、オランダ国民の反イスラム感情はより鮮明になっています。
2013年にオランダで行われた世論調査では、回答者の77%が「イスラム教はオランダを豊かにしない」と答えた。73%が「イスラム教とテロの間には関連がある」と言い、68%は「オランダにはイスラム教徒がもう十分にいる」と考えていた。こうした見方は特定の政党の支持者に限られたものではなかった。オランダのすべての政党の支持者の中で過半数を占めていた★7。『欧州の自死』
極右や一部の排外主義者のみならず、多くの国民がイスラム教の負の側面を認識していることがはっきりわかります。ここに至るまで、オランダでは、左翼で同性愛の大学教授がイスラム教の女性に抑圧的な文化の問題点を精力的に指摘し続け、挙げ句極左のヴィーガンに射殺されるという事件もありました。
イスラム教徒の社会への攻撃
英国ではこのような事件も起きています。
「 アフガニスタンから休暇で帰国していた若い英陸軍兵士のリー・リグビーが、ロンドン南部の陸軍兵舎の外で、白昼に車ではねられた。車から降りてきたマイケル・アデボラージョとマイケル・アデボワールは、被害者を道の真ん中に引きずり出し、その体を刃物で切りつけた。さらに彼らは斬首を試みたが、それは完遂できなかった。武装した警官隊が到着するのを待つ間に、アデボラージョは血塗られた手に刃物を持ったまま、通行人のカメラに向かって、自分たちがなぜこのような行為に及んだのかを語った。 アデボラージョの逮捕後、警察は彼が携帯していた手紙を見つけた(その時までに手紙は血染めになっていた)。自分の子どもたちに宛てたその手紙には、彼の行為に対する弁明が書かれていた。手紙はその後の裁判で証拠として提出された。その一節には「最愛の子どもたちよ、アラーの敵と戦うことは義務であると知れ」とあった。手紙はさらに「臆病者や愚か者との終わりなき論争に日々を費やし、戦場でアラーの敵とまみえる日を遅らせてはならない」と続いた。手紙の末尾にはコーランの句を20 カ所ほど指し示した脚注があった。アデボラージョは明らかにそれを、手紙の内容の典拠と考えていたのである★ 5。
イスラム教徒から繰り返されるこうしたテロ事件に対する反感は、かなり広まっています。
イギリスで反イスラムを訴える活動家がロンドンの街を走らせる動画が衝撃的です。
ロンドンはすでに白人が少数になっている街。
イスラム教徒は反移民を唱えるトミー・ロビンソン氏の車を見つけるやいやな詰め寄り、恫喝し「差別主義者!」などと罵ります。トミーが車から降りれば、多数のイスラム教徒がよってたかってきて袋叩きにされるでしょう。
ちなみにこのトミー・ロビンソン氏は運動からネオナチを排除してきた人物でもあります。ネオナチはトミーに協力を持ちかけましたが、トミーは危険を承知でそれを拒絶したのでした。
それでもメディアや政治家はトミーを極右扱いし続けましたが。
警察はトミーが主宰するデモの終了時間がほんの3分遅れただけで彼を逮捕するなど、行政や政治家からの圧力は半端なかった。イスラム教徒が所属する反ファシストを標榜する団体から襲撃を企てられたこともあります。しかし、政治家達はトミーを潰すためにそういう過激な団体と手を組むこともあったのでした。
イスラム教徒に弾圧されるユダヤ教
宗教問題をさらに複雑にしているのは、イスラム教徒からユダヤ教への迫害が誰の目から見ても危険な水準に達していることです。
ユダヤ教徒が少数になり、多くのイスラム教徒が住む街では、時としてユダヤ教徒ではない街の住人がユダヤ教徒を護衛しながら歩く光景も見られるとのことです。そうしないとイスラム教徒からの襲撃を受ける恐れがあるからです。
『欧州の自死』よりさらに引用します。
「大量移民の時代にはユダヤ教徒に対する攻撃が至るところで増加し始めた。フランスでの襲撃を記録している機関「BNVCA」によれば、フランス国内での反ユダヤ主義的な攻撃は2013年から14年までの1年間だけで倍増し、851件に達している。総人口の1%にも満たないユダヤ教徒が、フランス国内で記録された人種差別的な攻撃の半分近くで被害者になっていたのだ。」
「2014 年のフランス革命記念日には、パリのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で祈りを捧げていた人々が、「ユダヤ人に死を」などとシュプレヒコールする移民の一団によって缶詰めにされた。2012 年には銃を持ったイスラム教徒が、トゥールーズのユダヤ人学校で子ども3 人と教師1 人を射殺した。2014 年には別のイスラム教徒が、ブリュッセルのユダヤ博物館で4 人を撃ち殺した。2015 年にはさらに別のイスラム教徒が、パリのユダヤ教徒向け食品店で4 人を殺害した。同じ年にはコペンハーゲンでも、やはり銃を持ったイスラム教徒がシナゴーグで警備員を殺している。殺人をはじめとするこれらの攻撃によって、イスラム教徒の反ユダヤ主義の問題がついに議論の俎上に載せられた。」
イスラムの背景を持つ移民に対する懸念は、時としてエリート層や政治家から非寛容で排外主義だと非難されます。しかし、それ以上に非寛容であり、過激で、攻撃的なのはイスラム教徒の移民ではないでしょうか。これではイスラムとその他の文化の共生ならぬ断絶です。
ニュージーランドの銃撃事件のようなやり方でイスラムを攻撃するのは言語道断ですが、だからと言って善悪二項の対立で事件を捉えるのも、本質を見失っているのではないでしょうか?
欧米エリートの悪いところは、庶民が増えすぎたイスラムに懸念を感じているのに、イスラムの急増を問題と捉えるのではなく、イスラムへの懸念の方が問題だとすることです。
リベラルや多文化共生といった理想の矛盾が、ここに集約されているように感じます。