「教育で持続可能な社会をつくる」〜NPO 森の教育プロジェクトが目指す、未来のまちづくり(その2)
4.未来の田舎はどうあるべきか
今、日本にある田舎と呼ばれる里山、里海と呼ばれる中山間地は、豊かな地域環境をを有しながらも、地方自治そのものが維持困難に陥っているところが少なくない。
そうした田舎はこれまで、都会に対しての脇役でしかなかった。
近年、その魅力にスポットが当てられ、都会から田舎の環境を見直す動きも起こっては来ているが、田舎に住むものとしての実感は、正直、焼け石に水の状況は変わらないと感じている。
田舎に住む多くの人は、便利や快適を求め、経済活動を求め、都会を目指し町を後にしていく、流出していく人口に、田舎へ流入する人口が追いついていないからだ。
加えて、地方自治体の財政難もその流れに拍車をかけている。
行政サービスのコストカットにより、住みにくさ、将来に向けての地方の閉塞感ばかりが先に立ち、人口増へ向かうべき力を阻害している。
税収を上げ、地域を維持するためには、なにより人口を増やすことが一番なのだが、行政主導の移住政策は、全国的に見ても成果を上げている地域は少ない。ぼくの住む美山町を含む、南丹市も同じだ。
なぜ定住・移住政策は成果が生まれないのか。
ぼくはこう考える。
今の定住・移住政策は、結果的に対処療法にしかなっていないのではないか。
ここでいう、対処療法とはつまり、
人が減ったから、人を増やす。
空き家があるから、人を増やす。
〜だから、〜をする。
という、眼の前の問題に対応することにしかなっていないということ。
そもそも、前回(その1)にも書いた、
1. この町は何を目指すのか
2. そのためにどんな人材に移住してきて欲しいのか
3.どれくらいの数の人材が必要なのか
4. そして移住者が、この町に対してどういう社会貢献が出来るのか
という、戦略とメッセージがあまりにも足らないように思う。
町づくりとは、
その土地に対して、
「とりあえず人の数あわせをしたら良い」というものではない
と、ぼくは強く思う。
人が集うには、意味と目的が必要なのだ。
これからの時代、それぞれの人に人生の意味と目的があるように、町にも意味と目的を持たせることが必要だ。
ここ数年来、全国にならって、ここ南丹市でも未来に向けた総合戦略策定を矢継ぎ早に打ち出しているが、その内容は、全国各地の自治体が打ち出しているものとそう大差ないものになっている。
言い方は悪いが、それはまるでテンプレートの様でもある。
今後、地方どころか、国内全域で人口減少が加速する時代に突入する。
そこに対し、みなが同じ目標を立て、同じように同じプランで動いても、国全体として大きな変化につながるとは思えない。
当然、国レベルで大きな目標を立て、各自治体がその特性を活かした役割分担をするべきだろう。
人口が少なくなればなるほど、その状況を打開するためにも、これからはその土地に価値を感じ地域を維持する目的を持った人材をそこに集め、育成し、結果、質の高い市民生活環境をつくる事が大切なのではないだろうか。
日本中の田舎と言われる地域が今後も持続可能になっていくには、この国の中でのその町の役割を市民が共有できるような、仕組みが必要で、その前提として、市民レベルの意識の向上が望まれる。
5.教育が社会を変える〜「人こそが資源」
NPO法人 森の教育プロジェクトのテーマにはこうある、
このテーマには、とても重要な意味がふたつある。
ひとつは、子どもである時期は、自然の中で過ごすことが大切であるという考え方と、
すべての子どもたちにとって、彼らのその大切な時期を、その適切な環境で過ごすことのできる、社会の制度設計が必要だ、という考え方だ。
ぼくらのこの活動の根本には、子どもたちに将来、豊かで幸せな人生を送ってほしいという願いがあるが、その「豊かさ」や「幸せ」の定義は、大人が決めつけるものではなく、子どもたち自身がそれぞれの人生の中で選択し、決定していくものだと考えている。
大人は、彼らが自らの人生を自らで決定し切り開いていけるよう、その環境整備をしなくてはならない。
今の世の中、子どもにとって学びの多い良い環境として、田舎は最適な環境だという考えは、多くの人の理解と賛同を得ることができると思う。
しかし今、日本全国のその「良い環境」が失われつつある。
その理由は明白で「田舎は、経済効率が悪い」からだ。
経済的に成り立たないとして、今後、多くの田舎の環境が将来、消滅するかもしれないとしたら、教育資源としての田舎もなくなっていくことに等しいということになる。
もしそういう理由で「田舎」の環境がどんどん失われていくとすれば、われわれは同時に、とても大切な資源を失うことになる、ということを多くの人は気づいていないのではないか。
つまり、自然豊かな環境は、経済のものさしで要、不要を測るものではなく、「大切な教育の場」という社会基盤として守るという新たな考え方が必要ではないだろうか。
一見、無駄と思われがちな都会から見たら辺境な田舎は、実は、都会の子を含めた、すべての子どもにとって、豊かに成長していく必要な場として、再定義する必要があるということだ。
6.社会に必要なのは、経済や、物質的資源ではなく、
なにより質の高い「人材」
人材さえ豊かであれば、極論を言えば人口が今より少なくても、国として立派に機能する。
発想が豊かで、実行力があり、柔軟性に富み、感性が豊かな市民が増えれば、今ある環境を含めた様々な資源を、より有効に活用し、持続可能な社会の構築を実現することができるはずだ。
例えば、政治への参画という点について考えてみる。
自分たちのことは、自分たちが決める。
この、ごく当たり前のことが、日本ではあまりできていない。
今の日本の国政選挙への投票率が全体で55.93%(20代の割合は36.5%)(※)という現実。
それに対し、彼の国デンマークの例ばかりで申し訳ないが、あちらでは、投票率は全体の80%、そのうち20代は70%程度だと聞く。
選挙に行かないという理由に、「政治に魅力がない」、「不信感があるという」というものをよく聞くが、実際には、社会を自分ごととして考えられない子どもが増えているということも考えられないだろうか。
デンマークでは、150年以上前から、国の資源として、人材というものに重きを置き、教育を国の基本とする政策を行ってきた。
その結果、世界最先端の教育立国となっている。
国全体の人口約580万人。日本の20分の1しかない人数で、世界を代表する国家となっているデンマーク。自然エネルギー活用の最先端であり、幸福度世界一の福祉国家でもある。
単純に比較できないとはいえ、その基盤となる教育の思想、理念とその理論、実践は、幼少期の教育環境から発揮されており、その先進的な教育の取り組みは、世界的にも注目を浴びている。
子どもたちから自分の意見を持ち、それをしっかり伝えることの大切さに重きを置く教育の、まさに成果が出ている国だと強く思う。
そのひとつの現象が、投票率の高さではないかと思うのだ。
人こそが資源であるという考え方は、実はこれからの世界のスタンダードなのだと実感する。
7.森の教育プロジェクトは、地域の課題解決を教育で行う新たな取組
地方の教育環境を豊かにし、地域格差をなくす
自然や文化の環境を守るのと同時に、都会でないと受けやすい教育コンテンツを田舎にも整備することで、都市部と地方の地域格差をなくす。(これは昨今のインターネットによって解消可能)その豊かな教育環境を、必要な社会インフラとして定義し、守るシステムを作ること
例えば、農地保全も、営農を軸に経済で守るのではなく、生物多様性の自然環境戻るの維持と位置づけた「教材」「教室」として守ること。地域コミュニティ存続にむけた人口維持戦略を持つこと
例えば、小中学校の間は、都会からの短期移住、留学などが入れ代わり立ち代わり行いやすくする制度設計を確立し、安定した人口数を維持することも可能だ。教育を社会全体で行うという改革の必要性
これは制度設計というより、市民全体の意識の改革なのだが、教育を学校などの機関に任せっきりにしないようにする。つまり社会全体で、広い視野と価値観を取り入れ最適化するという考え方を持つこと。
こうして「教育」を軸に、ものごとを整理し、考えていけば、様々な策を講じることで、現在この国が抱える様々課題の解決につなげることができるのではないか。
改めて、前出の森の教育プロジェクトのコンセプトにふれよう。
「子ども時代は、田舎で学ぶ」が、当たり前の世の中に。
これには、町全体を「学校」にするという考え方があり、「子ども時代は田舎で学ぶ」という教育と生活のかたちを、世の中のあたりまえにしたい
という願いが強く込められている。
社会の基盤こそ、子どもであり、子どもファーストこそが、社会が最優先すべき姿勢であるということだ。
以下、参考資料としてNPOの基本コンセプトのページへのリンクを貼り付けておく。
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