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美山とデンマークの交流〜教育を地域振興に活かす取り組み

ここ数年、ぼくの住む京都府南丹市美山町とデンマークの北部にあるGribskov KommuneのHelsingeという町との間で、住民が主体となって国際交流が活発化している。
この国際交流の企画の発端と美山での活動の主体は、美山・森の教育プロジェクトという住民グループであり、ぼくも深く関わっている。
そのグループの目的と考え方はこのプロジェクトのサイトに詳しく記されているが、ここに少し紹介しよう。

─ 美山町には子供たちが育つ上で、最高の環境がある

このサイトにある、コンセプトに、ぼくらはこう書いている。

日本の原風景が残る、京都府南丹市美山町。
豊かな自然と文化を活かした環境を活かし、子どもたちに「豊かに生きる」ことの意味を知って欲しい。
地域資源を活かした教育環境とはなんなのか。
人口減少にあえぐ地方都市だからこそ出来る、教育の場の提供と、自由で生きる力を持つ子どもたちを育てることを私達は目指しています。

美山町は、京都市の北部、約50キロに位置する山間の町で、茅葺き屋根の住居が数多く残ることから、90年代にとりわけ保存数の多い北という集落一帯を国の伝統建造物保存地区に指定、以降、「かやぶきの里」として、関西では名の知れた観光地となっている。
日本の古き良き原風景の残る町として、へたな開発も無いまま、豊かな里山文化を維持してきた町である。
人口は1950年代の国内林業が盛んだったころには、約1万人以上が住んでいたが、60年代より生活の多様性により都市部への人口流出が進んでいく。

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90年代の移住ブームにより少しの間現状を維持するものの、2000年ごろから都市部とつながるバイパス道路やトンネルが数本完成し、それにより町外へのアクセス改善による、いわゆるストロー効果によって、人口の流出が加速していく。
とどめは、園部町、八木町、日吉町との南丹市への平成の大合併による、地域のアイデンティティの崩壊による住民自治の骨抜きという状態に陥ったことだろう。
それらが大きな要因となり、現在の人口はピーク時の約3割の3,700人(2020年初頭現在)となっている。
このうち65歳以上の高齢化率は45%に届く勢いだ。
京都府下で、最大の面積を誇る美山町に対して、この人数もしくは今後減り続ける人口で、農地だけでなく、林野、そしてコミュニティを維持するのは、もはや難しいを通り越して不可能に近いと言わざるを得ない。
さらにいうと、この数字に表れた人数が実際に町に住んでいる住民なのかというと、実はそれも怪しいのだ。
住民票を置いたまま町外にいる若年層、介護施設に住み、実際に住民としての活動をしていない高齢者など、実際にこの町に住んでいると、もう何割か減っているのが肌感覚だ。

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この人口減少問題だが、とりわけ子どもの減少が深刻で、小学生年代で130名を切るかどうかの瀬戸際にいる。そして3年前、とうとう美山町に五つあった小学校が一校に統廃合された。

さあ、ここまでくると事態はさらに深刻だ。
広大な面積のこの町の、この先20年を考えた時、子どもを持っている、もしくは持とうとする人が、学校のない町の僻地を選んで新たに住むことを選択するだろうか。
例えば単純に遠方からの通学時間にどれくらい無理が生じるのかというと、今の小学生で、学校がある地区と一番遠い地区に住む子どもの通学時間の累計を比較すると、年間約360時間近い格差がでるとの計算もある。
いくら田舎に住むからと言って、この子どもが自由に使える時間の格差は、ある程度是正する必要がある。
移住定住促進の観点からも通学に多くの時間と手間をかけなければいけない前提は、はっきり言って移住はのモチベーションに対しマイナスにしかならない。

こうした教育の環境悪化が、若い世代が僻地にある集落に住み着くことの障壁となり、集落に新しい世代の供給が行われなくなることで、今住んでいる高齢者がいなくなった時点で集落が消滅する、という未来が現実のものとなるのは明らかだ。そして、事実その消滅は、すでに町の奥からジワジワとはじまっているのが実態である。

そう考えると小学校の統廃合というのは、極端な言い方をすれば、町が棺桶に片足突っ込むかどうかというレベルの分水嶺のようなものであり、人口問題の深刻な事態が表面化した状況だと思う。

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しかし統廃合が決行されたその当時、住民には、まだその問題の本質と切羽詰まった状況がうまく伝わっていなかったように思う。
少子高齢化による人口減少、移住者促進など、そういった問題意識はあっても、そもそも人口が減少していく根本的なシステムを理解できていたのだろうか。もしかしたら、中にいると見えにくいものなのかも知れないが。

実際、当時、保護者を中心に学校、教育委員会からの説明会の中では、小学校統廃合の是非を含む本質的議論ではなく、子どもたちのバス通学をどうするか、どこにバス停を置くか、だれがバス通学の安全を担保するかというような非常に表面的で些末な問題に対する議論で終始していたと聞く。
いやむしろ行政側が、議論をそちらにシフトしていたようでもあった。
「すでに統廃合は決まっている」という既定事項を大前提として。

そもそも学校を潰して一つにするというこの問題の最大の原因が、児童数の減少なら、急いで児童数を増やすという方向での議論を町内で活発にすべきだったのだ。
話し合いはされていたとしても、この20年をいたずらに無為に過ごしてしまい、具体的な策を講じることができないまま児童数減少に対処できなかった町内の自治組織の責任は大きい。

では、
子どもの数を増やすには、どうすればよいのか
この考えが、ぼくらが行うこの教育への取り組み、そしてそこから生まれた国際交流企画の発端となる。

ぼくが、この命題に対し導き出したのが、「教育」というキーワードだ。
教育という切り口で、人口が増える、という考えは、実は根拠がないものでは無い。
実はこれ、自分自身の経験に大きく影響を受けている。

まずひとつ、ぼくは自身の活動である、ウィーラースクールを通じて、人づくりに取り組んできた経験があり、教育が、子どもや保護者、その周囲を含めた人の輪を生み出す原動力になるとのを知っていたこと。
もうひとつは、息子(現在は成人)が、小中と日本におけるオルタナティブ教育の旗手とも言える、きのくに子どもの村学園で教育を受けており、ぼく自身も、保護者会などの代表を数期経験した事を通じ、「教育」というキーワードで各地から人を呼び集めることを経験として知っていたからなのだ。

教育をキーワードにすれば町は変わる。

学校の枠にとらわれない、社会全体での新たな教育の枠組みが、これからの時代には必要であり、求められていくとぼくは考えている。
事実、文科省が推奨する地域と協力しあうことを推奨しているが、果たしてそれは上手く機能しているのかというと、一住民からみると、なかなか見えてこない。
それはきっと、地域全体を教育の場にという名目はあるにしても、結局、教育は学校が、という先入観に社会全体が縛られているからだと思う。
教育は、社会に直結していないといけないと思うのだ。

ぼくらのこの活動の目標は、「教育環境の整備によって、この町を維持する」ということである。
町が維持されることとはつまり、「ここで住むことに価値を感じる人を増やす」ということに他ならず、個人個人の価値を感じる生活が、実現出来る環境を整備することが町の維持につながっていく。
すなわち、幸せな子どもの数を増やすことは、結果この町の人口を増やすことになるということだ。

人口が増えれば、小学校の廃校問題どころか、地域コミュニティの縮小により疲弊した、田舎の様々な問題も解決する。そしてまた、この町の価値を高め、より幸せな子どもを育てていくことになるという、良いスパイラルを生み出していくことが大切だ。
この町に最高の教育環境を作ること。ここでしか出来ない、特色あるオンリーワンの教育環境を目指し実現出来れば、自分の子どもに最高の環境を与えたいと強く願う家族が自然に集まるのは想像に難くない。

そして、町の価値を感じる住民が人口の多数を占めると、町を意識する人の構成が変わり、そこに住む人の意識が全体的に変わるはずだ。
そうなるとこれまでと全く違った、新たなジャンルでの生産性が生まれ、新しい地域資源に対する価値感覚が、さらに生まれてくるかもしれない。
だが、この町の価値を理解しやってきた人たちによって、町の価値がさらに追加され守られていくことになる。

こうした動きは、これからの未来に向けて、持続可能な社会を実現するための牽引力となるかもしれない。
一時的に人口を増やすことが単なる目的ではなく、住む町に愛着を感じ、これからの時代をどう生き抜いていくかという能力を身につけ、問題解決能力と気力をもった人材の育成が、人口増加を目指す動きに必要な事だと思おう。

地域で教育環境を作るのは、ある意味、地域の未来の担い手を育成することだ。教育とは、そうした結果を伴えるように考えて、講じるべき方策を考える必要がある。
そしてなにより、結果の実現のためには、新しい考え方と取り組みが必要で、従来型の教育の感覚と環境では、実現は難しいのではないだろうか。(これまで、教育が地域振興に対して結果を残している例がほとんど無いため)

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※図は4年前にぼくが提唱した、地域が主体となった学校による問題解決の考え方

そして当時のぼくは、地域の活性化を目指す新しい学びの環境を作るために、新しい教育感覚を盛り込んだ国際交流という手法を選んだ。
それが世界一幸福度の高い国と世界で賞賛されるデンマークとのつながりだった。

この国際交流は、現在4年を経過し、住民間の取り組みとして市民や子どもたちの相互訪問、文化スポーツ交流の実現、デンマーク大使館との強力なパイプ構築など、様々な成果を上げている。
ちなみに、資金はスカンジナビア・ニッポン ササカワ財団、デンマーク大使館から資金のサポートを得、それ以外は市民自らで賄っている。
毎回のことだが、行政からの支援は(なぜか)無い。

成果に関しては、プロジェクトのサイトの活動報告を見て欲しい。
一通り読んでいただければ分かるが、市民レベルでの活動のその圧倒的なリザルトは、財団の成果報告会でも各方面から多大な評価をいただいているくらいなのだが。

市民自らによる、問題解決のために始まったこの国際交流企画は、これまでこの町に対して良い効果を多く生み出していると自負はしているが、自治組織を巻き込んでの大きな動きになっていないというのが実際だ。
まあ、こうした革新的なアイデアに皆がすぐさま飛びつくくらいなら、今この町で起こっている様々な問題は、もともと解決されているのではないだろうかとも思う。

市民発信のこの新たな考え方を、町全体の動きにしていくためにもまだまだ多くの壁を乗り越えないといけないが、地域の縮小スピードに対して、果たしてその動きが間に合うのか? という不安はやはり隠せない。


子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。