「教育で持続可能な社会をつくる」〜NPO 森の教育プロジェクトが目指す、未来のまちづくり(その1)
2021年4月、特定非営利活動法人 森の教育プロジェクトが、京都府南丹市美山町で発足した。
母体となったのは、2016年以降、有志が集まって活動してきた「美山・森の教育プロジェクト」で、主にぼくの住む町、京都府南丹市美山町とデンマークのヘルシンゲという小さな町との国際交流が軸となってはじまった活動である。
1.はじまりは地元小学校の統廃合
そもそもこの活動が始まったのは、当時、南丹市美山町内で、町内5つの小学校が統廃合されるという問題が町に表面化し議論されはじめた2015年だった。
京都府の中北部にあり、鉄道もなく、高速道路も整備されていない美山町は、いわゆる僻地と類される中山間地の田舎である。
1980年代以降、都会への人の流出による人口減少が著しく、京都府下で最大の町面積(340.47平方キロメートル)をもつ地域でありながら、総人口が3,500人程度(2021年7月現在)であり、さらには65歳以上の高齢化率が46パーセント(平成31年度)を超えている、まさに限界集落と呼んでもおかしくない地域で、2016年、「南丹市立美山小学校」として再編されるまで、この町には小学校が5校存在していた。
当時、全町あわせても130人程度の生徒数しか確保できず、学校によっては、全学年生徒数が20人を切るところもでたため、適正配置として市の教育委員会が統廃合を決定したという経緯があった。
一見、「子どもの教育環境の改善」を考えているように見えるこの施策も、違う側面、つまり「地域」という視点から見た場合、必ずしも正解とは言えない部分もある。
例えば、広範囲な町域の小学校を統合することで、居住地域によっては距離という物理的な「通学時間格差」が生まれる。美山町の事例で考えると、最長の通学距離とその最短を比較すると、年間にして約300時間近い通学時間の差が出てくる。これは公教育環境としては、是正しなくてはいけないレベルではないだろうか。
地域の学校が無くなるというこの大事件からは、子どもの活動範囲内(小さな地域)に適切な教育を受けられる場所や、その機会を減らすことで、そこの地域に、子どもを持つ新たな住民を呼び込むことが困難になることが予測される。
つまり、僻地集落では、教育環境の消失に起因し人口の継承ができなくなるという未来が訪れる可能性が高いということだ。
実際に、小学校の廃校に至った地域が、その後、人口増加に転じていく事例をあまり見たことがない。
学校がなくなるということは、町の重要な存続問題でもあるのだ。
(このあたりの事は、以前書いた記事で当時京都新聞に寄稿したコラムを前文掲載しているので、それを参考にしていただきたい。)
2.「教育」で地域課題を解決する取り組み
教育を「教育」という枠組みの中でのみ、とらえるのではなく、「教育」が、その地域にとって必要な要素、つまり、地域の持続を可能にする社会基盤であるという視点でみると、また違った課題解決へのアプローチが見えないか。
例えば、
ぼくらが住む地方、特に中山間地域の問題や課題は、数多ある。
コミュニティ力の衰退、空き家問題、農家の高齢化や跡継ぎ不足による農地保全困難、地場産業の衰退、少子高齢化など、その課題はもはや枚挙にいとまが無い。
あまりにも矢継ぎ早にやってくるこれらの問題にどう対処していくべきなのか。悩みは尽きないが、答えは明白だ。
そもそもこの問題の根底には、人口減少という問題が横たわっている。
つまり、
「この先の人口減少を食い止め、町を維持する適性人数を確保する」ことが、まさにこうした地域の喫緊の解決すべき社会課題だなのだ。
一つの例として、この地域の行政の施策を取り上げよう。
例えば、ここ何年、行政や地域が一体となって、空き家バンクをはじめとした移住定住促進を行っている。移住者促進のために、改装費用の一部を補助する支援なども手厚くなっている。
それらは一定の成果は上げている事例もあるが、まだまだ、どれもが著しい効果を上げているとは言いにくい。
一時期、住宅は埋まることもあるが、根本的な問題は解決されているとは言えない。
それはターゲットの設定とその目的のズレにあると考える。
例えば、移住を考える人の大部分が中高年だった場合。その年代は、移住20年後には必ず高齢化し、結局、また空き家問題が再発する。
町は生きものなのだ。
その時ではなく、10年後、20年後にどういう町として維持するのかという、中長期的スパンで町づくりを行わないと、一時的に改善された問題も、また復活することになってしまう。
今、移住政策に必要なのは、いたずらに人を呼ぶことではなく、
という町の将来の理想像や成し遂げたいと思っているゴールや目標を手にした瞬間のイメージを、住民全体で共有することではないか。
そして当時、人口減少を食い止めるには、ある一定の意志をもった住民を子どもごと移住させ、町の社会課題を解決へと導くことを目的とした、「美山・森の学校」というアイデアが生み出されたのだ。
上の図は、2015年当時、町内の行政職員、地域振興会会長、町選出の市会議員が総勢で集まる会でプレゼンした時の資料の一部である。
簡単に言うと、
というものである。
そもそも、美山町のような田舎には、都会にはない優れた自然環境があり、(近年は高齢化が進みコミュニティの求心力も低下しているのは否めないが)まだ田舎独特の強い地域コミュニティが地域各所に存在する。
もし、こうした田舎の町が持つ地域資源を最大限活用できる教育環境が整えられ、地域の全ての子どもに平等に提供され、さらには、そこで採用される教育哲学や理念、手法が、最先端であれば、「地域環境に価値を感じる」という意志を持った移住者が増える可能性がある。
そのためにも、子どもの教育に大切な要素を適切に配置、構成した地域丸ごとの学舎を計画し実践していくことが必要ではないかと考える。
これが現在の、美山・森の教育プロジェクトという活動として形作られていく。
この活動は、当初、ぼくとデンマーク在住の友人で造形作家の、高田ケラー有子氏とふたりの企画ではじまり、デンマークでの教育視察を皮切りに、市民交流へと広がり、あちらの学校、行政、デンマーク王国大使館の多大なる協力を得ながら、これまでに多くの成果を上げてきた。
以下に、経緯を紹介する記事をリンクしておく。
(ここにリンクされている記事のWEBサイトは現在、新しいNPO法人のサイトに移行している)
3.森の教育プロジェクトをNPO化へ
2016年以降、4年間、任意団体として、デンマークとの国際交流を軸に活動を続けてきた「美山・森の教育プロジェクト」は、2020年晩秋より、NPO化へと舵を切ることとなった。
それにはいくつかの理由があった。
その理由のひとつは、デンマーク側から美山の小中学校との姉妹校提携を求められたことを切っ掛けに、国際交流の窓口をつくる必要があったことだ。
もうひとつは、この活動が目指す、田舎が抱える最大の社会課題である「都市部への人口流出」を食い止め、地方分散型の社会を実現するために、この活動や、考え方をこの美山町に限らず、全国の中山間地に飛び火させる必要があると考えたからである。
そのため、活動団体名から「美山」という地名を外し、多くの同じような問題を持つ地域と連携していくことを目指した。
これからの時代は、地方から、この国が目指すべき「地方分散型シナリオ」を推し進めることが必要で、ぼくらのこの活動が、市民発信の一つの好例として、同じ問題を抱える同様の地域の参考になればとの思いが強い。
こうして、本格的に動き出した、森の教育プロジェクトは、具体的にどう動いていくのかを、次回(その2)で説明したい。
(その2)につづく
子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。