ちょうど1年前につぶやいたツイートが、面白かったのでまとめてみた。
今、日本中の農家が危機に瀕している。
いや、「危機に瀕して」なんて書くと、アホかと言われそうだが、ぼくは実生活の肌感覚としてそう思うのだから仕方ない。
なぜならぼく自身がその米作農家であり、形も不揃いで飛び地になって点々と点在している10枚以上の田んぼを、日々耕作し、米づくりと農地の保全をしているので、この当事者の感覚をアホかと一蹴するとしたら、そもそもこの国の農業は終わってる。
そんな僕が、昨年、多分近所の農家仲間のおっさんと立ち話をしたあとに、思うところあってつぶやいたのであろう、ツイートを昨日誰かがイイネを押してくれたことで、ぼく自身、あらためて読むことができ、ちょっとクスッと笑えたり、なるほどなと思うこともあったので、備忘録的に、noteにまとめておこうと思った次第。
ここにあるように、日本の中山間地と呼ばれる地域の米づくりは、農地の形状、広さ、どれをとっても効率的に米づくりを行うための条件が非常に悪い。一般的に、うちのあたりでは「三反農家(※)」つまり、わずか数反、数枚の田んぼしか持たない農家がほとんどで、そもそも経営にのらない規模の農業しか出来ないのだ。
(※)1反=約300坪、そこから生産される米は、約450キロ程度が標準
ぼくの所属する地域の農事組合の総会で最後に必ず確認される事がある。
それが、
「今後も引き続き農地保全について考えていく」
という言葉だ。
この言葉は、もう当たり前すぎてもはや寝言にもならないレベルというか、一応「なんとかしなければ」という気持ちはあっても、口を突いて出る程度で、実際にどうするかを考え、行動する様子は見られない。
そうこうするうちに、どんどん自分たちも高齢化していき、もはや手の付けられない状況に陥ってきているのが実際だろう。そしてその状況はうちだけではない。
2021年の京都府における米の買い取り価格は、30キロの玄米、一等米でなんと4,700円だった。(ぼくが米づくりを始めた10年前は7,000円以上あったはず)
この価格では、1反あたりの収益は7〜8万円。
だが、必要経費は10万円くらいかかるので、ものすごい赤字を垂れ流していることになる。
問題はその必要経費だ。
・苗
・化学肥料
・農薬
・乾燥〜もみすり 他、農業機械に関連する経費
一般的な兼業農家では、上記の自身で所有する農業機械の経費以外は、ほとんど農協から仕入れたり支払うことになる。
もしかすると農協から融資を受け購入した農業機械のローンなどもあるかもしれない。
つまり、米づくりの利益から生まれるお金は、結局、農協や農機具メーカーに吸い上げられている構図だ。
そこに米買い取り価格の下落。
なのに経費の額は変わらない。
つまり、農家だけが、国が決めた米買い取り価格の下落分を押しつけられているということに他ならない。
みんななんで怒らないの?
まだ日本が近代農業(つまり化学製品や大型機械に頼らなかった時代の農業)を行っていなかった時代。
考えたらその頃は、完全なる無農薬有機農法、さらにはもはや自然農法が主流だった。
確かに、天候に左右されたり、病気になってしまったりと不安定な収穫に一喜一憂していた時代だと思うが、今の、少々の病気でも治し、害虫を一気に殺してしまうような化学薬品や、弱った稲を一発で元気にする化学肥料を使う夢のような近代の慣行栽培が、世の中でどれだけ席巻しても、どこかでやっぱり「有機がいい」とか、「無農薬が安心」などと言う声は多い。特に食生活に意識の高い人ほどその傾向が強い。
実際、病虫害に強く、場合によっては慣行栽培より収穫量も多い農家もいるなど、結局のところ、古臭い大昔の農法とはいえ、積み上げだ経験から導き出された農法は、近年、科学的にも、合理的で正しいと、多くのデータが証明している。
つまり、昔のやり方の良さを、ちゃんと理論として証明し、再現できる時代なのに、慣行栽培の農家からは、古臭い迷惑な農法だというレッテルを貼られ、異端の扱いを受けることもある。
だが、本当に昔の農法が迷惑で異端なやり方なのだろうか。
化学製品に頼る近代農業で、確かに農作物は安定供給できているのかもしれないが、実際には、国内の農業の衰退、農地の荒廃が止まらないということは、どういうことなのかを考えて欲しい。
ここに書いてある、
農協に安く買い叩かれる恐怖から解放されて、食べる人のことを心から思う作物を作ることができる。
まさにこの感覚が、今の農業から感じられないというのが、もしかするとこの国の農業の不幸な部分なのかもしれない。
「こんなん単なる家庭菜園やんけ」と揶揄されるかもしれないけど、それでもいいやん、それで国中に、新鮮で美味しくて安心の野菜が溢れるなら、それでいいやんって思う。
売ろう、儲けようとするからひずみがくる。
農業はどれだけ経営にのせて、産業として経済的に発展しても、この感覚を忘れてはいけないと思う。
農地は農家のものではなく、国の財産だと思う。
自然豊かな農村景観を含む環境は、農業の枠を越えて、多くの人に、多くの学びと経験を与え、さらには多くの人の命を守る、大切なフィールドだからである。