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12.ついつい寄ってしまう聖域、それは本屋
何日かに一回、といいつつたまには毎日、近所の本屋には通ってしまう。
僕は結構いろんなジャンルの本を読んでいるとは思うけれど、だいたい足を運ぶ場所は決まっている。
エンタメの小説などは少しお休み気味になってしまっているけれど、もうそろそろ読んだり書いたりをマジでしていきたみ。ちょっとこれからやっていきたいことに、結構関係しているので。
最近読んでいるのは、かくれ繊細さんとも呼ばれているHSS型HSPについての本や、ADHDについての本。
おそらく僕はどちらも気質として生まれながら持っていると感じているのだけれど、去年からいろいろ調べ始めた。最初は自覚した、認識した時は驚いたけれど、今では自覚してよかったと感じている。
正直近所の本屋だったり図書館でも読める本に限りがあるものの、これはと思ったら後からしっかり読んだりしているので、本屋に置いてもらっているだけでもありがたい。
自分事として自分の中にあるものと、自分の外の何かしらのフレーズや世界観、価値観などに触れれば触れるほど、本屋って奥深くなるというか、どんどん眺めたくなる棚が増えるんだな。というのが最近の気付き。
結婚したとき、子供が産まれる前に、サンキュ!などの主婦層向けの雑誌を読んでいただろうか。いや、読んでなかった。
前の会社の先輩とジャニーズの話で久々に盛り上がるまで、二十代の頃とか全然アイドル誌って読まなかったのに。三誌の発売日に駆け込むとかいつ以来だよとか思いながら足を運ぶ。
繊細さんの本は一足早めに読んではいたけれど、かくれ繊細さんというフレーズと内容を見たらあーこれだわ、ってなったり、うすうす思っていたけれどもやっぱりかって気付いた後は、ADHDの本を後から気にしたり。
どんどん、生きていくたびに、読みたいものが増えていく。知っている棚とラインナップが増えていく。
もともと本屋には、僕が認識する前からすでにその本はあったのに、僕が認識しないと存在していないこととイコールになる。って感覚もなんだか、不思議だ。
まあ、一読者の僕が認識していようがいまいが、僕じゃない誰かは認識して、買い求めているからこそ、その本が本屋に存在していたわけで。
大都会のような広い本屋はこちらにはあまり無いので、置かれているということは、誰かが既刊を買ってくれていたから、作家さんで新刊を置いてくれていたりとか、何かしらがあったんだと思う。
僕がそのジャンルを認識した時に、その本が本屋に在ってくれてありがとう、というのも合わせて、僕が認識する前に興味を持ってくれていたどこかの誰かにもありがとうと、そんな不思議な感覚を抱いたりもする。
まあ、うん、いつも気難しく考えながら本屋に行っているわけではないけれど、たまにはちょっと真面目に考えてみた。
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