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#02 どんどん具合が悪くなるけど自分のせいだと思っていた十代後半(上)
高校生
思い返すと当時の悩みは全て根本原因の病気から生じていましたが、全然気づきませんでした。これを書くにあたって軽く調べてみたのですが、現在もその病気の捉え方は基本的に変わっていないので、もしネット環境があっても同じようなことになっていると思います。なのでこの分野も破壊的イノベーションが起こると思いますので、よろしくお願いいたします🙇
◆にきび、ニキビ、尋常性ざ瘡
現在の診断基準によりますと軽症(顔の片側に炎症のある発疹が5個以下存在する)にあたりますが、紅色丘疹(赤にきび)が落ち着いているときでも(片側ではなくて顔全体で)2~3個、生理前後の悪化するときはそれ以上出てきて、そのうちの数個が膿疱(黄にきび)や嚢腫・結節になるの繰り返しで、治ってもまたどこかに新しいものが出てきて、にきびが全くない状態の日の方が少なかったと思います。
治療法というか予防法としては、現在も変わっていなくてスキンケアや食生活、生活習慣の見直しなので、雑誌に載っているようなスキンケアや市販の塗り薬やビタミン剤はかなり試しました。甘いものや高カロリーのもの、油っこいものはできる限り少なくしたり、早寝早起き、なるべく体を動かすなど心がけたけれど、若干よくなったかなと思うことはあっても、決定的に「これ!」が効果があったかどうかは不明で完全に出なくなることはありませんでした。スキンケアや外用薬ばかりが注目されていましたが、経験的に内臓疾患だと思っていました。(乾癬にすごく似ている)
ちなみに美容系ではなく普通の皮膚科に行ったら、抗菌薬の塗り薬を出されただけでした。思春期にみられる一過性のものであまり大げさに捉えられていなかったと思います。(アトピー性皮膚炎にすごく似ている。昔は大人になったら自然に治るといわれていた。実際、大人になれば自然寛解する人もいるし、厳密には何がきっかけかわからないが自然寛解する人もいる)
乾癬の研究過程で、2022年から2023年の冬に現在も不明のにきびの根本原因が偶然になんとなくわかりました。ブログを書くにあたって最新の医療情報を調べていたら、それを裏付けるものが出てきました😯💡時系列的に書いていきますので最後まで読んでいただけたらと思います。
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◆ダイエット
とにかく食欲が止まらなくて太りました。入学時は165/52くらいだったと思いますが、2年生の秋か冬には58か59くらいになっていました。(前は気にしなくても痩せていたのでこまめに体重を量っていなかった。なので記録もない)
当時は安室奈美恵さんの全盛期でネットもなくてメディアの力が絶大だったので、極端な痩せ願望とダイエットが流行りました。(それにより摂食障害という病気を作るまでがメディアのお仕事)私は一度食べたら吐けない体質のようで(人生で吐いたこと🤮が10年に1回あるかどうか)摂取カロリーを減らして運動しようとしましたが無理でした。思春期は太りやすいのは当然で大人になったら自然と痩せるから問題ないというような風潮でした。(これも乾癬やアトピー性皮膚炎にある意味似ている)しかし、定量化できないけれど(故にわかってもらえなかった)、どう考えても私のは“異常食欲”だと思っていました。
◆不定愁訴
だるい。当時の女子高生はみんなだるそうにしていたと思いますが、私は本当にだるかった。いつも何となく疲れが取れないとか思考力・集中力の低下、気分の浮き沈みがありました。(原因不明で良くなったり悪くなったりを繰り返す。これも乾癬やアトピー性皮膚炎に似ている)
一番酷いのは生理前で、すべての体調不良が襲ってきて、希死念慮に当てはまるかどうかわかりませんが消えてしまいたいと思うこともありました。それまでは岡田あーみん先生や漫☆画太郎先生😢のようなギャグ漫画やコメディが好きで基本的に結構単純な性格でした。
「十代は感傷的でなければいけない」様なテレビコンテンツも多かったように思いますので、影響されてそんなものなのかな程度に思っていました。実際、思春期に色々考えだすのは普通だし必要だと思いますが、私の場合はそれに加えて明らかに物理的な病気が生じていましたので、一般的な普通の感傷性ではなかったと今ならわかるのですが、当時はそんなことわかるはずもなく。今日も勉強しなかったのは私が怠けているせいだ…と自分を責めていました。
こんなかんじなので正直QOLは最悪でした。当然、成績もだんだんと悪くなっていきました。
高2(97年)の11月、コンビニでバイトをしていたのですが、入荷した夕刊🗞️を見たオーナーがこう言いました。「山一潰れたか…」
その時はテレビニュースを少し見るくらいで、正直世の中のことはよくわかっていませんでしたが、また景気悪くなるの…と思いました。バブル崩壊から総理大臣は短期間でコロコロ変わるし政治家も日本がよくなるように危機感を持って仕事をしているようには見えませんでした。地方なのでシャッター商店街は増えるし、親は「不景気だから我慢しなさい」と言うし、ニュースではリストラや就職氷河期で就職先がないと言っています。でも政治家を含め大多数の大人の雰囲気はそこまで悲観的ではないのです。どうにかなるというか、どこか他人事とかいうか、おそらくそれまで日本経済は成長していたので、いつもと同じ一過性の景気後退だと思っていたのだと思います。そんなこと(つまりは楽観的になる根拠)は知らない子供からすると先行きは暗かったのですが、テレビに映る政治家はそんなこと(つまりは子供が自分たちに対する批判や不信感を抱いているだろうということ)は意に介していないようというか想像すらしていないように見えましたし、大多数の大人もそのうちよくなるだろうとどこか他人事で真剣に考えていないように見えました。ここ数年降って沸いたように「失われた30年」とか言い出していますが。
だから積極的な理由としては、身の程知らずですが自分で経済をどうにかするしかない、そもそも経済とは何かという純粋な好奇心の二つで、消極的な理由は経済を知っていなければならない、知っていても損はないというもので経済学部を志望することにしました。