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#06 物事の結論を急がないこと

 ある日、朝起きたら頭皮に何だか違和感があり、鏡で見たら部分的にフケのように真っ白になっていて、ひどい部分はかゆみもありボロボロと落ちるようになりました。頭皮に出るまではかゆくはなかったのと服で隠せないのでショックでした。実験として、真夏はフローリングにタオルケットだけで寝たこともありましたが、身体は特に変わらず、ただ頭皮だけ悪化し続けました。頭だけダニアレルギーってありうるのかなと思いましたが、血液検査がそうだったのでそういうものだと思い、枕やその上に置くタオルを毎日洗ってみましたが改善しませんでした。

 生理前に全体的に悪化するけれど、特に身体は始まるとすーっと薄くなって数が減っていくので、市販のステロイドを塗るくらいで何とかなっていました。なので、一番外見上で気になっていたのは激太りです。

 

 ある時にたまたま見たテレビ📺で、詳細は忘れましたが、二人の出演者が同じクイズに同じような不正解をしました。

その時の私の反応がこうでした。

イケメン→こんなこともわからないんだ。かわいいな。

そうでない→こんなこともわからないんだ。ダサい。

 つまり、ほぼ同じ行動をとったにもかかわらず、見た方の反応が真逆になっていたのです。これにはびっくりして、なぜなんだろう?何か理由があるに違いないと思って、大学の図書館で探した本がこれ👇

内容紹介
「口では「ルックスは自分にとって重要ではない」と言うが、行為はこの言葉を裏切る」(ハットフィールド)

私たちは他人を意識的・無意識的に「顔」で判断してしまうことが多い。いったい、私たちは、互いに他人をどこまで「外見」で判断しているのだろうか。顔は人生にどんな影響をもたらしているのだろうか。それは、どのような場面で、どれくらいの力を持つのだろうか。本書は、信用度・犯罪・学校といった、様々な場面で持つ「顔の力」を社会心理学的に検証する。

では、恋愛における「顔の果たす役割」の検証からはじめよう。

目次
1 イントロダクション――「顔」研究のタブーと問題
2 恋愛にとって、顔とは何か考えてみる
  1.容貌は好感度に影響を及ぼす
  2.出会いやデートへの容貌の影響
  3.結婚において、容貌はどのような役割を果たすか
3 「顔」のいい人は信頼されるのか
  1.容貌は説得の最大の武器?
  2.当選か落選か、政治における容貌の役割
  3.面接試験を左右する容貌の役割
  4.魅力ある人が広告する商品はよいものか?
4 罪を犯しやすそうな「顔」はあるか
  1.「罪を犯しそう」という偏見
  2.「罪を犯しそうな」容貌の人は犯人か?
  3.魅力的な被告が陪審員に及ぼす効果
5 学校は「かわいい子」に有利な場所か
  1.容貌が教師に影響を及ぼす
  2.容貌は学業にどう影響するか
  3.容貌が魅力的な人は、学業が優れているのか?
  4.教師の容貌は生徒にどう影響するか
6 子どもの「顔」で大人の態度はどう変わるか
  1.子どもの容貌で「しつけ」は変わる
  2.子どもはいつ頃から顔に魅力を感じるようになるのか
  3.子どもは何歳で容貌によるステレオタイプを示すようになるか?
  4.外見に魅力を感じるようになるのは何歳か
7 醜い人はどこまで「損」か
  1.損なわれた容貌をもつ子の出生と発達
  2.損なわれた容貌をもつ人に対するステレオタイプと態度
  3.社会的価値と美容整形手術の需要との関係
  4.損なわれた容貌をもつ人の社会的相互作用
  5.他者の否定的な反応により生ずるものは何か
  6.損なわれた容貌をもつ人に対する援助行動
  7.損なわれた容貌をもつ人自身の行動
8 容貌で不利益を被る人に、どんな支援ができるか
  1.理論はともかく、まず何ができるか
  2.メディアは敵か味方か
  3.メディアは強い味方ともなる
  4.手術で容貌を変えるべきか
  5.容貌の損なわれた人々をどう支援するか
9 最後に「顔」の魅力を探ってみる@#

出典:人間にとって顔とは何か 心理学から見た容貌の影響 講談社ブルーバックス

 要約すると、同じことをしても顔がいいとプラスにとられて、そうでないとマイナスにとられるということ。「ただしイケメンに限る」や「イケメン無罪」のような言葉は当時あったのかわかりませんが、私は知りませんでした。人間の行動はパターン化していて、しかもそれは理論化されているのだと身をもって知りました。(心理学は心理療法とかそっち系しか知らなかったので、そういう個人的なものだと思っていました)

 だから激太りしたら人が一斉に冷たくなったのかと納得しました。(これは大学に入って太ってから初対面の人たちや知らない人、世間一般のこと。その中でも仲良くしてくれた人もいます)でも美の基準は、時代や地域によって違っていて、極論を言えばメディアや業界が作っているだけだから、そういうのに振り回されているのだなとも思いました。(現に10年もたてば流行り廃りで変わってしまうのは、わかる人はわかると思います)

 そこから、私は自戒の念も込めて、逆にバイアスをかけてその人自体の言動を見ようと心がけるようになりました。そうしないと、公正でないし、意図せず他人を傷つけてしまったり、自分が何か損をしたりすることになるのではないかと思ったからです。

 例えば当時は、首相の写真集を出したり、ドラマチックな演出をして劇場型政治をしていたのですが、この手法を利用しているのだなと思いました。つまり、群がっているおば様たちは顔がいい政治家とメディアが認識させているから、すごくよいことを言っていると解釈してるのだと。

※これは2000年頃の話です。今のようにネットで毎日のように洗脳、プロパガンダ、マスゴミ、工作員、陰謀論という言葉が飛び交っている時代ではありません。洗脳という言葉が当たり前のように使われ出したのは、スマホが普及して誰でもネットにアクセスできるようになり、進撃の巨人が流行った2010年代半ば以降だと思います。

 病気になったのが主なきっかけ(思うように勉強できなかったのは、怠け者なのではなく、体力がなかったからとわかったあたり)だと思いますが、こんなかんじで、だんだんと物事をすぐに判断しないような性格になっていきました。もし、あとになって未知の要素が出てきたら、物事の解釈が180°変わってしまうこともあるかもしれないと。だから、あそびの部分というか、留保して解釈を変えられる余地というのを自分の中に残しておくことにしました。

 このことは、あまり人に話したことはなかったので、見ようによっては、私は曖昧ですぐに決断できなくて、いい加減な性格と思われていたかもしれません。でも大事なことなのではと思ったので、続けてきました。

 だから、鬼滅の刃の炭次郎の性格が「優しすぎて決断できない」という設定が、すごくよくわかって納得してしまいました。(私はここまで優しくはないですけれど…)

出典:吾峠呼世晴「鬼滅の刃1」集英社(ジャンプコミックスDIGITAL).2016年6月.P93


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