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戦争、戦死、のこされる人

適当にタラタラ書いていたら
100ノートになってました。
読んでる人いるのかな。

本日は、ちょっと真面目に『戦争』についてです。

オーストラリアに来るまで、というかオーストラリアに来てから3か月くらいは
「オーストラリアには軍隊がある」というのを知りませんでした。

今働いているカフェは、オーナー夫人の戦死した息子の名前を冠しています。
一種の記念碑的なお店だと言っていいかと思います。

2012年、アフガンでヘリ移動中に撃墜されて
オーナー夫人の息子はなくなりました。

今はオーナー夫人も平静を取り戻してますが、
何年か前までは悲惨だったそうです。

そして、カフェには同じく殉死した息子を持つ親御さんたちが訪れます。
みなさん、オーナー夫人といろいろな話をして帰ります。

私は、30年間日本に住んでいて、戦争や戦死、遺族というのを実感として身近に感じたことがありません。

第二次世界対戦でご親族をなくされた遺族の方々がいらっしゃることは知っています。
お世話になった先生は、サハリンでお父上が捕虜になり、未だにご遺体が帰って来ていません。

しかし、『歴史上のできごと』としてどこか他人事のような、
テレビ画面を見ているような感覚がどこかにあったのだと思います。

オーストラリアに来て、つい2、3年前に息子が戦地でなくなった遺族の方々を見て、
「身近なできごと」として戦争を実感するようになりました。

同僚には、オーストラリア軍の夫を持つ人がいます。
彼らには彼らの日常があります。

こんなこと言えたギリじゃないですが、
戦争とかマジ無意味だから止めよう。
ほんと、遺された家族は悲惨だよ。
何をどう楽しんでいいのかわからないまま、
自分だけが人生を楽しんでいいものか悩みながら、
でも自分を生かすために働いて生活していかないといけないんだよ。

ほんと、やめよう。
誰かがそういう場所に行けるようにしたら
絶対に悲しむ人がいるって。

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