死んだ鳥居みゆきと死に損ないの黒木渚

思えば、何故私がこのふたりが好きなのか?改めて考えてみた。

共通点は

・生と死

・文学、舞台

・奇を衒う(あくまで私の主観)

・言葉選び、遊び

どちらも生と死を扱うような表現者であることは間違いない。そして二刀流、三刀流の活動の幅。

鳥居みゆきは

この妄想葬儀というコントの中で自分のお葬式をやっている。上の画面はリンクになっているので見ていただきたい。

私はこのコントを見た時圧倒された。

言葉選び、常識という言葉を飛び越えたお葬式という概念。リズム。迫真のコントと言うよりか演技に近いと思っている。

こちらはだいぶ昔のコントだが、今、鳥居みゆきはYouTubeでとりみょんチャンネルというものをやり、視聴者の闇の部分に寄り添うというコーナーをやっている。その中で自分が最も印象的な言葉がある。

「死ぬ事が表現だったら死ぬよ」


この中で言っている。

鳥居はこのとりみょんチャンネル内で自分が精神疾患を持っている事を言っている。

なかなか言えないと思う、死ぬが表現だなんて。でも私は一つだけ死ぬを表現しているアーティストを知っていると思った。

「黒木渚」だ

黒木はインタビューで滅び方を考えることは生き方を考えることとイコール

どういうふうに死んでいこう=生きていこうということをつきつめた

と言っていた。黒木もまた生と死をよく考えている作品を出している。

が、2人の違いは死んでしまうか開き直って生きるか別れる。2人はまさに陰の死、陽の死とその点に関しては全くふたつに別れているなと思った。

先日このブログで黒木は不安定と書いた。

水の上は不安定だと思う。だから不安定な状態で安定していると思う。

そして鳥居みゆきもとりみょんチャンネルで自分の病気の体験談を話したりして、不安定な状態で安定しているようだ。

人の生死を扱う表現は難しいような気がしている、だから2人とも言葉選びが秀逸なのだ。

とりみょんチャンネルで鳥居は

「痛みがあるっていうことは生きてるっていうこと、痛みは良いもの」

と言っている。そこで思い出したのが黒木の最新のアーティスト写真である。

画像1

持っている部分は棘。

黒木は立派な死に損ないとして生きていくと決めたと言っている。棘は痛いだろう。そしてあの、水の旗についてるトゲは檸檬の棘で抜いた自分の棘ではないかと思う。だがそこで先程の鳥居の言葉が思い出される。

痛みを感じるという事は生きてるという事なのだ。黒木も死に損ないを経験し、痛みと向き合い、生きているのではないかと思う。

それから鳥居は闇の中に音がある。光を求めず悲しいも嬉しいも一緒に連れて行って違うことを探せ、闇の中に音があるからと。

この話を聞いた時黒木の虎視眈々と淡々との

「世界で一番暗い場所は人間の黒目の中にある」というフレーズを思い出した。

私が2人にどうしても惹かれる理由、まさに生と死を表現しているからだと思う。もちろんそれぞれのネタや歌も大好きだ。

2人の歌詞や歌には何個も何個も伏線や想像力をかきたてるヒントやモノが隠されている。私は考察は上手くないし、できない部類に入るけど、何故私は黒木渚が好きなのか考えてみたら、そうか私は鳥居みゆきも好きだったよなぁと思い、なんだか難解な人を好きになるなぁと思いちょっとしたテーマとして書いてみました。

読んでいただきありがとうございました。


2022.3.14






いいなと思ったら応援しよう!