新しい朝と風
小説の本筋には関係ないような描写でふと思い出されることがある。
昔、Aくんは「以前読んだ小説に『毎朝生まれ変わった様に目覚める』という文章があって、とても良いと思っている」と言っていたことがある。
Aくんと私はほんの一時、惹かれあっていたが、根本的に違う種類の生き方をするタイプであった。
そのせいか、私にはその気持ちが全く理解できなかった。
目覚めた今朝は昨夜の続きであり、昨夜は昨日の続きだ。そうでなければ自分が誰だかわからなくなってしまうではないか。
また初めから戦い、自分を勝ち取っていかないければならないではないか。そんなのはとても耐えられない。
私の母は時によって、私を娘として扱ったり、死んだ息子の代わりをさせたがったりした。だから私は、割と大きくなるまで性自認(と言うような言葉は知らなかったし当時、言われてもなかったが)が曖昧で、スカートを履くことに違和感はないが、髪を伸ばす事を禁じられているから女の子でもないんだな、ズボンを履くことを勧められるがお台所の手伝いを女の子はするものだ。と言われるから男の子でもないんだな。といったふんわりした認識でいた。
少女にしては粗野で少年にしては活発でなかった。いいとこなしである。
だから、昨日から続く昨夜、寝て、起きた今朝という新しい朝が「生まれ変わったような」朝であっては困るのだ。またどのように振る舞えばいいか探らなくてはならない。トライアンドエラー。と言う名の「ダブルバインド」の日常で。
Aくんは結婚して子供をたくさんもうけた。クリスマスには家に電飾をし、子供のために庭にバスケットゴールを設置している。私ではとてもできなことだ。
あの時、別れを切り出したのはAくんの方だったが、いずれ別れていただろうな、とその様子を見ると確信する。そして、風の噂では、良き夫とはいえない素行であるという。
そう言われてみれば、彼は女性についてはすべて「性的な対象であるかどうか」で判断をしていたし、差別的な発言も多々あったなあと思い出される。Aくんが私を選ばなかったことは正解だ。風の噂はうまいことAくんの奥さんには届いていないようだ。