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生きる、とは

生きるとは

若い頃は自分の死など考えず、いや、思いつきのように考えたことはあるが、がむしゃらに欲望に向けて突き進んだ。死というものは、概念として理解はできるが、自分のこととして考えついたことはなかった。
死については、一旦横に置き、自分の欲望の実現に向けたシミュレーションと実践を繰り返し、悲喜交々と過ごしていた。仕事も私生活も、全てこうしたいという目標があり、実現できることは少なく、できなかったことは忘れ、次々と目標を立てて邁進していた。目標がエネルギーであり、実現に向けて動くのは義務であり、この行動論理に疑いの余地は全くなかった。

定年退職が近づき、一旦仕事を自分の横に置くようになった。無理やり、横においたのである。小学生くらいの子供の頃に近いのではないかと思っている。それが、何の気休めになるのかわからないが、自分は気休めのつもりだ。40年近い生活の論理を否定するのだから、自分もどこかで不安なののだろう、無意識に出した救命ボートのようなものだ。しかし、事実はそんなことはどうでも良く、無関係だ。仕事を横に置いて、中心とはいかないが、生活の論理を支えてくれた論理を否定しているのだ。新しい論理が必要だ(教義といった方が近いかもしれない、しかしそれでは宗教的な感じが出てくる)。中心に自分自身、自分自身の気持ちや感覚を置くことにした。

この論理ですごして、1年近くになろうかと思う。実は、このような考えの方が、自分は他人に思いやりが出ることがわかった。不思議なものだ、今までは、周りへの配慮をと考えていては、自分勝手だ、身勝手だと非難されることも多く、どうすれば、自分が他人を思い遣っていることを理解してもらえるのか、何十年と不思議でしょうがなかった。一部のお付き合いした女性は、よくわかってくれていて、自分のことを優しい人だと信じて疑わなかったのだが。
自動車の運転をしているときに、歩行者を優先したり(渡ろうとしている人を見かけたら、車を止める)、食事の時など、相手に気遣ったり、ひょっとしたら、こういうのは無意識に行動に出るのであって、意識しなくても良いのではないか。自分勝手な考えに囚われ、40年近く徒労していたかもしれない。

自分中心に考えるということは、自分がどう思うかを考えの中心にすることで、自分勝手や身勝手とは違う。結果的にそうなる事が増えることを想定していたが、そうはならないようだ。
また、自分にはめていた、タガを外す意味もある。諦めていたことを思い出し、できるものはやってみる、チャレンジがほとんどだが、そういうことをしてみる。
家族や近親者には、身勝手に見えるかもしれない。しかし、老い楽の自由でもある。しかも、私には時間がないのである。

若い頃は、60歳以上の人を見て、どうしてもっと上を向いて行動しないのか、などと思うことも多かった。今では、いろいろわかる、決してそんなことはなく、いろんな若い頃に縛られていたものから解き離れて、より自由になった姿であり、生きることの意味については、若者よりよく考え、よくわかっている。

若者にありがちな日常的な欲望は湧かないことも多くなっている。子供は移動の時に走る、それは移動にすら早く行きたいという衝動に駆られ、自分で衝動をコントロールするすべを知らないからだ。少し成長すると収まってくる。女性をなんとか、ものにしたい、付き合いたいと思う、モテたいと思う。そのためによいスーツや、よい会社に就職したいと願うことも多い。女性にモテるのが善とする考えも、欲望に駆られたものだ。歳の離れた男性に近づく女性は、メンヘラか詐欺師しかいない。ホルモンのバランスが変化して、女性はいい匂いがしなくなる。エロは横にしまっておくのが賢明だ。

残念ながら、大脳皮質には残像が多く存在し、チャレンジを忘れると、残像の影響を受ける事が多くなる。若い頃の英雄話し、モテた記憶。こういった残像は、あまりよい影響を及ぼさない。自分でしっかりコントロールする事が重要だ。
年寄りが残像に引きづられて行動するのは憐れだ。現役ならば別だが。

全体を考えると、こうした残像に引っ張られる年寄りも含めて、生きるとは滑稽なこととも思える。滑稽とは、笑い事で終わるのではなく、深刻に考える必要もないということも含む。真剣に考える価値はあるが、深刻になることはない。

自分を中心におくなど、自分にとっては大きなシフトだったのだが、周囲はとっくにそうだったのかもしれない。その方がうまくいく気がするからだ。自分のことを貶めた言い方をしたり、批判をするもの、物言いは尽きることはないであろう。しかし、そのような物言いをする人にとって、いうことの価値はどこにあるのかと問いたい。そこにあるのは、優越感しかないであろう。他人の優越感に構う暇はない。言わせておくだけである。過去における自身に対する物言いも同様であろう。全て捨てておくことにする(よくどうすればよいのか悩んだが無意味だ)

生きるとは滑稽だ、笑おうではないか。真剣だが深刻なるものではない、好きなことをしようではないか

















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