素佐能雄命とは?(諸系図の現代日本語訳) - 858文字
上記は、大神姓本系牒略という文献です。
本記事は、上記の素佐能雄命の部分を現代日本語訳したものです!
原文
天御祖伊弉諾尊之児母伊奘冉尊
一之建素佐能男命古事記神祇式
神素戔嗚尊
速素戔嗚尊記一書
素佐能雄命
又之八束身臣津野命(出雲風土記)
童名武塔天神
又之牛頭天王(公事根之)
書紀一書日素戔嗚尊可以治天下也而欲従母於根国可以任情行矣乃逐之又日遂到出雲之清地之言日音心清々之
又日葵後居熊成峯遂入千根国矣
出雲国楯縫郡鰐淵寺山頂窘陵也有祠号日來成天王之々按來成訓久來奈理矣
一之大己貴命書紀大穴持命(神式)祇櫛耗玉命(国造神賀詞)
現代日本語訳
1. 天御祖伊弉諾尊之児母伊奘冉尊
→ 天つ神の祖である伊弉諾尊の子を産んだ母である伊弉冉尊
2. 建素佐能男命 / 神素戔嗚尊 / 速素戔嗚尊
→ これらはすべて「スサノオノミコト」の異表記です。
- 建素佐能男命(たけすさのおのみこと)
- 神素戔嗚尊(かみすさのおのみこと)
- 速素戔嗚尊(はやすさのおのみこと)
素佐能雄命(すさのおのみこと)は:
- 八束身臣津野命(やつかみしみつのみこと)とも呼ばれ(出雲風土記による)
- 幼名を武塔天神(むとうてんじん)といい
- 牛頭天王(ごずてんのう)とも呼ばれる(公事根による)
日本書紀の一書によれば、素戔嗚尊は天下を治めることができたにもかかわらず、母に従って根の国へ行くことを望み、自分の思うままに行動しようとしたため追放された。その後、出雲の清地(きよき)に至った。「清地」という地名は「心が清らかな場所」という意味である。
また、その後、熊成峰(くまなりのみね)に住み、やがて根の国(ねのくに)に入ったという。
出雲国楯縫郡(たてぬいのこおり)の鰐淵寺(わにぶちじ)の山頂の窘陵(くるしみのみね)には、来成天王(くなりてんのう)という名の祠がある。「来成」は「くなり」と訓む。
大己貴命(おおなむちのみこと)は:
- 日本書紀では大穴持命(おおあなもちのみこと)と記される(神式による)
- 祇櫛耗玉命(わくしほたまのみこと)とも呼ばれる(国造神賀詞による)
以上