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【母の終活】明日ホームに入居/人生の予定なんて立たないよ

ついに明日、母は病院から介護ホームに移る。
入院からちょうど1か月。
1か月の間にここまでよく、いろいろ決めきれたものだと思う。
最初の10日は、母が二度と病院から出られないのではないか?と思うぐらい衰弱していたので、まずは退院できてよかったなと思う。
ただし本人は本当のところどう感じているのか、わからない。

81歳のステージⅣの膵臓がん患者が、1か月も歩けず、ほぼ食べられず、という状況になってしまうと元の生活に戻るのは難しい。
正直、不可能だと思う。これは精神論、根性論ではない。
(もちろん若ければ若いほど、担癌患者であってもそうではない)

これが老いるということだ。

私は年齢とともに、たとえそれが緩やかであっても、歩けない、食べられない、と経過していくのが老いだと思っている。
いやいや年とっても元気な人はいるし、がんばればできる、とか、年齢関係ないだろう?とかあるだろうが、やはり人間とて動物なのだ。
食べられない、歩けないは、生物として死に向かっているのだと思う。
(何度もいうが若ければ若いほどリカバリーはできると思う)

両親を見ていると、70代は「死」がとても遠かった。
というよりこの調子だと90は超えてしまうんじゃないかと思っていた。
両親とも持病があるにも関わらず、だ。

ところが80代に入り、昨年夏ぐらいから、急激に両親とも老いが深まってきた。
全身から「老い」の雰囲気を醸し出すようになった。
母も何某かの自覚があったのか、「もうそんなに長くはないよ」と真顔で言っていた。
(ちなみに父は、簡単にいうと他人の考えも想像できず自分のこともよく分析できない人なのでそういうことは一切言わない)

今回のことで母を見るたび、私も25年経てば、こうなるのかも?!とびっくりしている。

とすれば時間がない。
あらら25年しかない。
わぁ~~~~!!って感じである。
だって、25年前のできごと、今でもよく覚えているし、当時の私を瞼の裏に浮かべることができる。

では、この先25年の人生でしたいことの予定を立てるか?というと、
私は立てません。

予定は、そもそも立たない。
毎日何が起こるかわからない。
半年前に今の状況が想像できたか?というと「否」である。
そして半年後もどうなっているのか、予想もつかない。

だからやっぱり、
今日したいことを今日して、今日したくないことは今日しない、でおこうと思う。
これが予定っちゃ予定である。

お金の予定も、やりたいことの予定も、全部放棄してしまいそうな勢いのこの頃である。

とりあえず

仕事やめといてよかった。

これだけは心からそう思う。