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断捨離について

この記事では、断捨離についての私の考えを様々な視点で紹介します。


断捨離とは

断捨離はWeblio 辞書で以下の通り定義されています。

執着を捨てることを旨とする片づけ術の標語。断つ、捨てる、離れる。やましたひでこ氏によって考案された。元はヨガの行法に由来するとされる。(2010年10月11日更新)

https://www.weblio.jp/content/断捨離

断つ、捨てる、離れるという動作は、例えば、「私は大好きな甘い食べ物をしばらく断ちます。」「彼女はもう着なくなった衣類を捨てるつもりです。」「彼は大学進学を機に地元の土地を離れる予定です。」のように、食べ物や場所などの視覚的に分かりやすい対象物があることで成立する他動詞です。厳密にいうと、時間や組織などの目に見えにくいのもその動作の対象にはなりますが、この記事ではあくまでも、視覚的に分かりやすい物を対象にした断捨離に限定して述べたいと思います。

断捨離をすることは、合理的か非合理的か

「断捨離をして使わない物を捨てる」
これだけ見ると、なんとも合理的に思えます。
使う物 → 家に置いておくという前提を設定し、
使わない物 → 家に置いておかないという論理は成立しそうです。
下の図の通り、家にある物全部は、断捨離をする時に捨てるか捨てないかという選択ができます。

家にある物全部=全体集合、捨てない物=部分集合

 しかし、時間軸に過去を含まると非合理的にも思えるというのが面白いところです。
物を捨てる、捨てないというのは現在から未来の行動の選択に言及しているので、過去のことは一旦考慮に入れないという前提があります。この前提を取り外し、過去を考慮に入れると、断捨離をしている最中に、次のような考えが頭に浮かびます。
  「そもそも、これは何で購入したんだっけ?」
  「これを購入する前に使っていたものがあったとしたら、ただ断捨離を繰り返しているだけ?」
つまり、名目は断捨離として物を捨てて整理しているという成果が分かりやすい作業をしているが、実態はただの消耗品の買い替えをしているという可能性も出てくると私は考えます。もちろん、明らかに消耗品になるトイレットペーパーや洗剤は別ですが、それ以外の物で、購入したり捨てたりするサイクルがある場合は、なるべく捨てなくても長持ちする物を買うのが良いと思います。
「なるべく捨てずに長持ちする物を最初から買えばよかった」と、程度はさておき過去の行動に対し後悔の念を抱かせるという意味で、断捨離は非合理的にも思えます。
 結局、断捨離は合理的か非合理的かどっちであるかというと、独断と偏見で言ってしまえば断捨離の頻度によってその答えが分かれます。断捨離の頻度が年に1回くらい、あるいはいつ断捨離をしたか覚えていないくらいであれば合理的、数えられて定期的と言えるくらい断捨離の頻度が多いと非合理的と言えるでしょう。皆さんは、断捨離をしたことがあるとしたら、これまで何回したか覚えているでしょうか。ぜひ断捨離の頻度を振り返ってみてくださいね。

「断捨離は必要というよりか不要とも言えない」くらいの感覚

これは、①物に対する合理性と②断捨離に対する熱量という二つの視点から得た私の感覚です。それぞれ解説していきます。

①物に対する合理性
 ここで言う合理性とは、「物を持つ理由は、生活のために使用するため。」「必要最低限の物を生活で使用する。例えば、コップが一つでもあれば生活ができるとしたら、二つ三つと別にコップを買う必要はない。」「何となく置いてある物があり、それを生活で使用することはないとしたら、それは無駄であり不要である。」という、最低限必要だから物を持つという徹底的に削ぎ落とす考えから生まれる合理性を指します。
 結論としては、この合理性が常に成り立つのであれば、断捨離は不要であり、常に成り立たないのであれば断捨離は必要であると私は考えます。
 なぜ、この合理性と断捨離の必要性を関連付けているかというと、以下の論理を私の独断と偏見で組み立てたためです。

「合理性が成り立つ」 
  → 必要最低限の物しか家に存在しない 
  → 物を購入する時は消耗して使えなくなったものを買い替えるためだけ 
  → 買い替えでしか物を購入しないため家にある物は増加しない 
  → 物が増えた実感が一切湧かないため断捨離の概念が思い付かない 
  → 断捨離は不要である
「合理性が成り立たない」 
  → 必要最低限の物以外にも履かない靴・絵画・本等の無くても生活に困らないと分かっている物が存在する 
  → 物を購入するのは消耗品の買い替えだけでなくシリーズの商品を収集したり思いつきでその場で欲しいと感じて買ったりする時もある 
  → 物が増加する一方である可能性が高い 
  → 物が増えた実感が湧いたりほこりが目立つようになる 
  → 掃除の手間が増えたら困るので物を減らし掃除の手間を減らすことを決める 
  → 断捨離は必要である

 果たしてこの合理性は常に成り立つのでしょうか。仮に常に成り立つとしたら、無くても生活には困らなく死ぬわけではない物は要らないということになってしまいます。コロナ禍でよく耳にした「不要不急」というキーワードが、人々の行動だけでなく、家にある物についても当てはまると思います、つまり、コロナ対策として例えば距離が縮まる飲食店での会食は控えるといった家の外での行動の制限だけでなく、家の中の所有物に対して、これは必要最低限の生活をする上では不要であるという判断が、その家の主人の主観ではなく、社会的な判断基準になるということを意味します。物が不要かどうかを決める判断基準が全員一致することはあるかというと、私は無いと思います。例えば、私はコーヒーが好きなのでコーヒーメーカーは必要であり家に所有していますが、コーヒーが嫌いで飲みたくない人からしたらコーヒーメーカーは不要である可能性があるのかもしれません(コーヒーを淹れず、インテリアとして飾るだけの可能性は無いとも断言できません、、、)。
 また、常に成り立つということは、「どんな時代においても、どんな時でも変わらない不変の合理性が存在する。」という意味があると考えますが、そもそも、スマートフォンみたいに昔はなかったが現在は存在する物がごまんとあると思います。時代の移り変わりで社会的に必要な物が変わっていくのをスマートフォンを例にすると、スマートフォンを手に抱えたままタイムスリップして江戸時代や明治時代に戻ったとしたら、「スマートフォン?何じゃそりゃ?」となっているだろうと考えるのでその時代においてはスマートフォンは不要であったかもしれませんが、今や通販やネットバンキング・個人情報の保管や、電話やメール・テキストメッセージのやり取りなど、社会的に広く必要な物として認知されていると考えます。また、個人単位で、人生のライフステージに応じて必要なものが変わっていくのをランドセルを例にすると、小学生の時に使っていたランドセルが家にあるけれども、中学生になって別のカバンを使っているからもう要らないとなる可能性があります。
 というわけで、全ての人が、どんな時代も、どんな時も当てはまる、「物に対する合理性」は存在しないと考え、常に成り立つわけではないと私は考えます。しかし、常に成り立たないとも言い切れません。もしかしたら、あんまり家にいる時間がなく家は寝るためだけの空間だと考える人からしたら、最低限寝れれば良いので家にあるものは生活上必要最低限の物しかなく断捨離する必要がない可能性もあります。
 以上より、私が伝えたいことは、物に対する合理性は常に成り立つわけではないが常に成り立たないとも言えない、つまり断捨離は必要とは言えないが不要とも言い切れないという感覚が私にはあるということです。

②断捨離に対する熱量

 これはどういうことかと言うと、「断捨離は絶対必要だからやる!」「断捨離は絶対不要だし不要だと思うことはやりたくない!」など、断捨離をするにしてもしないにしても何かこだわりが強いというか執着があるというか、思い入れが強い、つまり熱量が高いのかどうかという視点です。私の断捨離に対する熱量は、「まあ、物が増えて、もうこれは使わないよねと感じる物があって頭から離れなくなった時に断捨離をすれば良いかな。物を買いすぎはしないけどちょっと思いつきで買って物が増えるのも悪い気はしないかな。」くらいの、どちらかといえばそれほど熱量は高くないと自分では思います。
 数学の絶対値をイメージするとわかりやすいと思います。絶対値とは0からどれだけ離れたかを表すので、例えば、|-4| = 4(-4の絶対値は4であることを数式で表現している)、|4| = 4という結果となります。-4は0から数直線上でマイナス方向に1ずつ刻むと、0 → -1 → -2 → -3 → -4と4回刻むので、絶対値は4となります。仮に、断捨離に対しての熱量を絶対値で表すとして以下の様に定義します。

-10 = 『断捨離は絶対不要であり、絶対にやりたくない』
10 = 『断捨離は絶対必要であり、絶対にやりない』

上記のどちらの場合においても熱量が非常に高く、絶対値は10であるので、絶対値が10に近付けば近付くほど熱量が高くなり、絶対値が0に近付けば近付くほど熱量が低くなると定義できます。絶対値が0、つまり±0の場合は、断捨離は不要か必要か分からない、そもそも断捨離の必要性を考えることに時間を注ぎたくない状態を指します。
 私の場合ですと断捨離に対しての熱量は3くらいなので、どちらかというと断捨離は必要だとは思うが、頻繁に行おうとは思わず、ごくたまに行うイベントの感覚ですね。
 皆さんは、断捨離に対しての必要性や熱量を考えたことがあるでしょうか。ぜひ振り返ってみてくださいね。

まとめ

この記事では、断捨離についての考え方や基準を複数の視点で説明してきました。具体的な断捨離の方法論などはすでに多くの方が公開したり説明しているのかと思ったので、そもそも断捨離とはどういったものかという一歩引いた視点で記事を書いてみたいと思ったので、この記事を書きました。今後断捨離についての私の考えが変わったらその時はまた記事を書いてみたいと思います。
それでは、また。







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