金魚姫

あたしがあなたに出会ったのは、数年前の夏祭り。

あたしは金魚すくいの中の金魚。
浅い水のなか、たくさんの仲間と泳いでる。もう何匹かはすくい上げられていった。

窮屈な水槽の中。仲間たちは弱々しい。
元気なのはあたしと数匹のオスだけ。

自分で言うのもなんだけど、まぁまぁ美人なあたしはすごくモテた。

あたしはここのお姫様的存在だった。

でもあたしは彼らに興味なんて微塵もなかった。
残念だけど、タイプじゃないの。

あたしはしつこいオス達を、まさに金魚の糞状態で引っ提げながら、狭い水槽の中、泳いでる。

そんな時、あなたが来たの。

色素の薄い、少し長めの柔らかそうな髪。長いまつ毛。滑らかな白い肌。ガッチリとしすぎない体躯。

色素の薄さは、彼の整った優しい顔立ちを、より一層柔らかく見せた。

あたし、虜になったわ。

隣にいる女の子なんて目に入らないくらい。

あなたの微笑みに、わたしは泳ぐことすら忘れて見入ってた。

「あ、見て、こいつ止まってる」

「本当だ。その子綺麗だねぇ。…捕れる?」

「任せて」

ポイを持った、あなたのしなやかな指が近づいてきたけど、逃げなかった。
逃げられなかった。
あなたのそばに行きたかったの。

「捕れた!」

あなたの声がわたしの小さな体を震わせる。
全身であなたを感じてる。
なんて幸せなの。

その後彼はオスを2匹を捕まえた。
金魚すくい、巧いのね。


あたしは彼の家で暮らすことになった。
2匹のオスは女の子の家。

あたしの新しいお家は小さな水槽。でも、あたししかいないんだから十分よ。

何より彼と暮らせるんだもの。

十分よ。


あたしの名前はぴーちゃんになった。

名付けたのはあの日の女の子。
あたしの美しい濃いピンク色の体をみて、あっさり、勝手に
「ピンクだからぴーちゃんだね」
と名付けてしまった。

なんて安直な。

姫だったあたしに似つかわしくないわ。

何より、彼に決めて欲しかった。
彼がつけてくれた名前なら、たとえぴーちゃんでもあたしには宝物だったはずだから。

金魚って、悔しいわ。

犬や猫なら気に食わないと唸ってみたり、噛み付いてみたりと意思表示できるのに。
金魚じゃせいぜい尾ビレを乱暴に動かす程度よ。
誰にも気付かれやしない。

けれど、安直さに苦笑しつつも、
「よろしく、ぴーちゃん」
そう言ってあなたが微笑んでくれたから、もうそれだけでぴーちゃんが素敵な名前に思えてしまうの。

あたしって現金ね。


女の子はそれから何度も彼の家にやってきて、あたしの名前をたくさん呼んだ。

「ぴーちゃん、元気? 餌あげるね」

「ぴーちゃんぴーちゃん、少し大きくなったかな?」

「ぴーちゃんは元気だね。あたしの2匹は死んじゃった」

そうやっていつもあたしに声をかけてくれる。

あたしは夏祭りに売られてた金魚にしては珍しく元気で、もうこの家に来て数年が過ぎた。

その間彼の優しい微笑みも、女の子の明るい声も、2人が交わす甘い視線も、何も変わらなかった。

あの子は嫌いじゃないわ。

優しくてすごくいい子。

だけど妬ましいの。

艶やかな髪。真っ白で柔らかな肌。くりくりの大きな目を縁取る長いまつ毛。通った鼻筋に、ふっくらとした唇。

まるで物語のお姫様。

それに比べて、あたしは所詮金魚すくいの中の姫。

人魚姫にはなれないわ。


ある日聞こえてきたのは、いつもと違う彼のこわばった声。
かすかに声が震えてる。

真っ赤な顔で、ぎこちない動きで、彼女の前に小さな箱を差し出した。

「俺の一生をかけて大切にする。だから、ずっと傍にいてください!」

「…それって、プロポーズ、だよね…?」

あの子の声も震えてた。

頷いた彼の手をぎゅっと握って、あの子が微笑む。
彼もほっとしたように、泣きそうな顔で微笑んだ。

よかったね。

おめでとう。

ごめんなさい。

心から祝福できないの。

分不相応なのは分かってる。
無理な願いだということも分かってる。

だけどあなたが好きなのよ。

一度でいいから人間になってみたい。
彼と手を繋いで出掛けてみたい。
彼に抱きついてみたい。抱きしめて欲しい。
愛する人に向ける言葉を、視線を、あたしに向けてみせて欲しい。

馬鹿な願いだって分かってる。
だけど願ってしまうの。

だってあたし、恋をしているから。



お伽話の中の人魚姫。

悪い魔女に騙されて、声も命も失った。

哀れで可哀想な人魚姫。

それでも彼女はきっと後悔していない。
あたし、分かるの。

あたしも、一度でも人間になれるなら、一瞬でも彼と恋ができるなら、命だって惜しくない。喜んで差し出すわ。

だけどここは現実世界。

悪い魔女なんていないし、魔法なんてないし、彼には彼女がいるし、何よりあたしは金魚だし。

人魚姫になんてなれないの。

綺麗で繊細な人魚姫。
なれるものならあたしだってなりたかった。

狭い水槽なんかじゃなくて、広くて綺麗な海で泳いで、素敵な相手と恋に落ちる。

そんな風に生きてみたかった。

人魚姫になりたかった。

でも、所詮あたしは金魚姫。


あたしは幸せそうな2人の近く、狭い水槽の中でたゆたってる。

次こそは、きっと素敵な人間の女の子になるの。
そして、彼に負けないくらい素敵な人を見つけて、愛されるの。


憧れたのは人魚姫。

だけどあたしは金魚姫。

せまい水槽の中、ゆるゆるゆるゆる、たゆたって、今日もわたしは夢を見る。


幸せな、恋の夢。

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