上品な人、下品な人
みなさまこんにちは、今日は少しだけ愚痴らせてくださいね。
というのは、昔のことわざに、「袖振り合うも多生の縁」という言葉があります。
故事ことわざ辞典によりますと、以下のように書かれています。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと
ということで、本当に些細な事でも縁は大事にしなくてはいけないと思う反面、最近はその真逆を行くような話が多かったりします。
今年の5月ころかな、運転免許の更新に行った時に、お互いによそ見していたのもあるのですが、ちょっとぶつかったんですね。
普通なら、「スミマセン」だけで済む話なんですけど、鬼の首でも取ったように言われましてね。
因縁じみたことを言われまして・・・。
まぁ、気の毒な人だなぁと思って、謝りましたけどね。
結局そう言った人って、自分で自分の品位を下げていることに気づかないんでしょうね。
ぶつかったのはこちらが悪い、実際にはぶつかったと言っても肩が少し当たったという程度ですが。(^_^;)
人はその言動や行動で大きくその印象を変えてしまいます。
男性の場合もそうですが、若い女性の場合、ちょっとした仕草を変えるだけでその人の印象は大きく変るものです。
そして、そうした上品な人と思われれば自ずと次のステージも用意されます。
もし、あなたが現状で満足しているのならそれで良いですが、少しでも上のステージに上がれるのなら上がっておくほうが良いと思います。
男性でも女性でもそうですが、一つ上のステージに上がると、違った世界が見えてきます。
そして、違った世界の人達とお付き合い出来るようになります。
そして、其れを目指せるのは自分自身が変われるか否かだと思うんですね。
上がるのは苦しいですけど、降りるのは一瞬です。ホント
転落なんて簡単ですよ、堕落した生活をすればすぐに行けますから。
上品な素養のある人は、良いですが、私のような決して上品とはいえない人が上品な人に近づこうと思えば正直厳しい、言葉遣い、振る舞い、服装・・・そんな一つ一つを自分で常に意識しなくてはならないんです。
特に年を重なれば重ねるほど、見かけが悪くなりますからね、より一層に内面を磨かなくてはと思うのですが。
人は、なかなか指摘してくれたりはしません。まして、歳を重ねると・・・。
先程申し上げましたが、私は決して上品な人ではないけど、少しでも上品な人になれるような努力だけはしていますよ・・・・なかなかそう思っていきませんけどね。(^_^;)
長年に身についたものは改善するのは難しいものです。
でも、それを少しづつ変えていく努力は大切なのではないでしょうか。
そう、昨日より今日、今日よりは明日の自分は少しでも変化している。
細胞は毎日新陳代謝を繰り返し3ヶ月で入れ替わるというのであれば、自身も良い習慣を3ヶ月続ければ3ヶ月前の自分よりかは多少なりとも進化しているのではないでしょうか?
みなさんも、今日から始めてみませんか?
少しでも上品な人になれるプロジェクト・・・(^_^;)
もちろん、「私はお上品な人」という方は、更にその高みを目指してください。
私も日々努力を続けますので。