学者とは。私的な考えかた
学者という言葉について考えてみたいと思います。
世の中には、学者と呼ばれる方が沢山います、テレビなどでも識者として、○○大学の学者で・・・と紹介されたりする人が沢山いますし、もちろん自称学者なんていう人もいるかもしれません。
ただ、私自身勘違いしていたというか、今までの私の考えでは、大学の先生などおおよそ、修士課程などを修了し、学会などに所属する人が学者と呼ばれる人たちなんだろうなぁと漠然と思っていました。
まぁ、これは定義的に正しいと思います。
実際、学会というところはそんなところだろうと思います。
ただ、最近思うことは、仮に大学の修士課程などを経なくとも、「学び続ける者」は、皆「学者」であろうかと思うわけです。
学者=知識人というのは、昔の概念ではないでしょうか。
昔は、インターネットなど無くて膨大な知識を得るには数多くの本などを読み込み。もしくは調査するなどが必要でした。
最近は、自宅にいながら国会審議議事録なども簡単に読むことも出来ますし、過去の文献なども見ることが出来ます。
また、そうした貴重な資料の場所を調べることも出来ます。
2年ほど前に某銀行にお客様向けの講演では、京都の二条駅に関する話題と云うことで、何回かの打ち合わせの後、約1時間の講演、実際には、講演自体は45分、その後、博物館前の二条駅で約15分程度。更に博物館の中でDD54形機関車と呼ばれる山陰本線ではゆかりの帰還者の前でも10分程話をさせていただく機会がありました。
もっとも、この日は夕方から夜勤だったので、早朝から次の日の朝まで仕事でした。苦笑
そこで、最近思ったんことですが。
学び続ける人はみんな学者「(学び続ける(者)」なんだと、そう定義づけしても良いんじゃないかなぁと思ったのです。
学者でございますと胡座をかいているのではなく、無名でも何でも良い、「学び続ける人」こそ本当の学者だと思うのです。
それなら私も、そして、あなたも、今日から「学者」になれるのではないでしょうか。
だから、私も、今日から名乗ります。
学び続ける者として、「学者」と