暗室という名の暗黒
皆さんこんばんは、今日は少しだけ若き日の無茶話をお聞きいただこうと思います。
それは、私が警察を辞めて郵政省に転職した頃のお話です。
昭和58年の7月に郵便局に採用されたしばらく経った頃、今思い返せば、結婚を真剣に考えていた人と破局を迎えてなにもかも嫌になった頃だったでしょうか。
何を思ったのかプロカメラマンを目指そうとした時期がありました。25歳位の頃です。
迷走していますよね、警官になって、郵政省に転職して、辞めて・・・もしそこでカメラマンになっていたら今の自分はいないでしょうね。
ただ、その頃は本当に漠然としたものしか無かったんでしょうね。
ただ、何となく・・・。
これって一番危険なんですよね。
いわゆる、燃え尽き症候群、ある目標を達成してしまうとそれで次に何をしていいのかわからなくなるんです。
いわば、暗黒の部屋に放り込まれたみたいなイメージなんですよね。
何も見えない、何もわからない。
最近は、暗室などという言葉も死語になりつつありますが、昔は写真を扱うところでは必ずありましたね。
でも、小さな赤い火でもあれば、作業はできます。
実は人生も同じなのかなと最近は思っています。
歳を重ねてくると、若い頃のように叱ってくれる人もいなくなり、自分の行動が正しいのか否かは自分自身が経験してきた経験則に則って行動することになりますし、それで成果を上げてきた人はそれがひとつの行動基準になっています。
そうなってくると、仮にそれが間違ったとしても誰も止めなくなるので更に暴走する・・・いわゆる老害というもの
老害が良いか悪いか、ということではなく、方向性を失うと暗室にいきなり放り込まれたもののようで迷走すると言いたいんですよね。
迷走を避けるためには、一条の光が必要、そして、その一条の光というのは、若い人の知恵であったり先人の知恵、そしてそうしたものを記録した書籍でないかと密かに思っています。
最近は、ネットで時間を取られすぎだったのですが、読書をする時間を少しでも増やそうと復活しました。
すべての本を読むにはかなり時間がかりそうですが、頑張ります。
自分の人生を明るく導いてもらうために。笑
それでは、今日はこのへんで失礼します。