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私たちは生きているのか、生かされているのか?
そんなことを考えたことはないでしょうか。
私たちは生きている、これは間違いない事実です。
しかし、生きているというのはある意味では、現在のこの時点をもって生きていると言えるだけで有るかもしれないわけです。
次の瞬間、私たちは生きている状態から別の状態になっているかもしれない。
町を歩いていて、車が突っ込んでくるかもしれない。
電車に乗って、車に乗って・・・・安全に輸送されるという保証もしかり。
安全に移動できると仮定して、動いているだけにしか過ぎない。
コロナも然り、罹患しないと言えない、罹患するかもしれないし、罹患しないかもしれない。
罹患しても、さほど重症化しないうちに治るかもしれない、そうでないかもしれない。
世の中には、絶対という言葉は存在しない。
もっといえば、
私たちは生きているのではなく、生かされているのです。
まだ、おまえには世の中で苦難なのか使命なのかは判らないけれど、目的があるから生かされているわけであろう。
考えてみれば、色々なトラブルに巻き込まれながら、奇跡的に生きながらえてきた、山から転げ落ちで50mほど転がったとき【滑落というよりも転落という言葉が最も言葉として素直でした。実際、回転しながら50mほど山を下っていったのですが、途中に木々に衝突することも頭を石で打つこともなくかすり傷と僅かの打撲傷で済んだわけですから。
それ以外にも、間一髪で大事故になりそうなことに巻き込まれながら不思議と生還してきたわけで、運が良いと言うよりも、目的のために生かされていると思うようになったわけです。
どん底に落とされようと、不思議と這い上がってこれる、大儲けできるわけではないけれど生活が出来ないというわけでもない。
不思議な力で導かれているわけです。
その目的が何かは私には判りかねますが、少なくとも自分自身は生かされていると言うことに日々感謝して生きていきたいと思うこの頃なのです。
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