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ラベルを貼ると言うことは、結果的に閉塞感を高めていないだろうか?

どのようなことでもそうですが、どちらが正しいと言う色づけをするのは決して良くないことと改めて思うわけです。

我々は、よく左翼。右翼だとか、勝ち組・負け組と言った言葉で人々を分類しようとします。

何故そのように分類するのでしょうか。

ラベルを貼りたがる人たち

あくまでも個人的な考え方ですが、類型化することで判断をしやすくすると言うことがあろうかと思います。

また、最近ではスクールカーストなる言葉もちらほらと聞いたりします。

これも、実は先ほどのラベル分けと関連しているように思えてなりません。

勝ち組・負け組とい言う誤った大人の概念が子供に波及し、子供にあっても学校内で親の職業・年収などで子供も階層化されてしまうのではないかと考えてしまうわけです。

そして、階層化すると今度はそこで何が起こすかというと、世代間格差ならぬ、勝ち組・負け組による経済格差が生まれ、経済格差が生まれると、その格差を利用して統治する事を是とする考え方が出てくるように思えます。

それがさらに社会を圧迫して閉塞感を高めていないでしょうか?そんな気がするのです。

改めてその辺を考えてみるべきではないでしょうか。

改めて聞きますよ。

私たちが本当にラベル分けするのは良いことなのでしょうか?


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