悪魔と私(考えると言うことを考える)
「考える」ということはどんなことかと考えたことがありますか?
いきなり解けない問題を解けみたいな、答えのない答えを求める話で恐縮ですが、私自身、このことで昔悩んだことがあります。
今でも時々そのことで悩むことがあります。
時々、自分探しの旅に出るんだ・・・みたいなことを書いている若者がいきなり仕事を辞めて・・・みたいなこともあるのですが、そうした思考。
それが、自ら奮い立たせるためのものであれば良いのですが、そうでない場合、それは本当に自らの意思だったのでしょうか。
案外、「悪魔のささやき」だったのではないでしょうか。
悪魔という思想は元々西洋から発達したものですが、これは対極に神をおいたことによることからであり、堕天使なんて言葉も使われます。
サタンが一番有名というか広く知られていますが、「悪魔」と言うのは、西洋から入ってきた思想であって、日本にも同じような思想はありましたが、日本の場合はそれ以上に神と言う存在を万物に求めたため、対極を設ける必要がなかっただけです。邪(よこしま)な心があると、それを穢れとして人々はそれを祓おうとしたのではないかと考えるわけです。
話が脱線してしまったので再び悪魔の話に戻しましょう。
正直私も、まだまだ頭の中で消化しきれていないこともあり、うまく表現できません。
ただ一つ言えることは、我々が「邪な心」と表現していたそうした心理状態を、西洋人は、悪魔がやってきたと言う言い方をしたりしていたのではないかと思う訳で、心の中に生じた幻影ですから、色々な悪魔が存在することになります。
そして最近では、AIの発展とか、ITの発展で自ら考えることなく情報を得られるとか、動画配信などで簡単に収入が得られるとか・・・
自ら考えるということを放棄して言る人も多いのですが、こうした人は実は、それこそ悪魔に魂を売り渡してしまった人に思えてなりません。
皆さんは、悪魔のささやきにすっかり乗っていませんか?
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