見出し画像

ポジションを変えるという考え方?

今日は「ポジション」と言うことについて考えてみたいと思います。

図らずも、今は大阪市長選挙と知事選挙の真っただ中、この記事自体は2015年の5月頃に書かれた記事なのですが、再び大阪維新なる政党が都構想の再提出という前に進めるか、過去に戻すか・・・・いえいえ、都構想という話を出した時点で後戻りしていると思うんですけど。(^-^;

まぁ、そんなわけで加西市長の経験もあり、前大阪北区長の中川氏を個人的には応援しているのですが、その辺は別として多少文言を直したのですが、都構想が反対されたのは下記のような理由があったからだと思うんですね。
今は選挙期間中、改めて私なりに考えた都構想反対派の考え方を見ていただきたいと思います。

大阪を良くしたいという思いは誰だって同じとは思うんですけどね。

人の考え方というのは、10人いれば10人の考え方と言うものがあります。

これは当然でしょう、そして常にそうした意見と言うのは仮説にたってお話がなされます。

ある人は、A点に軸足をおいて考えます、ある人はB点から考えます。

みたいな。

軸足をどこにおいても基本的な方向は一緒だと思うんですよね。

その最たる例は、大阪都構想に見られた住民投票でしょう。

見事に大阪市を2分した世論は、マスコミ自体は老人が既得権益を守るために反対したと言いたがっていますが、決してそうではない。

ただ、マスコミとしたら老害ということで収束させたい、いわゆる橋下市長を推してきたので、いまさら後に引けないということでしょうか。

でも、若い人も高齢者も、一番感じていたことは今の大阪ではダメだと言う視点では一致していたと思うんですね。

ただ、何でもかんでも売ってしまって、もしくは民間売却で一時的に見た目は復活しても根本的には何も変わっていない。(いわゆる覚せい剤使用状態?)なわけで、その後のぶり返しのほうが大きい、だから反対派の多くはその点を感じて拙速な大阪都というわけにわからない危ない構想に反対したのです、まして大阪市を単純に分割することで今の大阪市より良くなるなんてことは普通に考えればありえないことですからね。

実際賛成派の意見を見ていても、大阪を変え無くてはと言う意識はあると思うのですが、ただそれを橋下市長のような政治家に委ねるのは正直危険だと思ったから、私は終始反対派としての立場で、選挙権も無いのにずっと応援してきたのです。

己の信念と己の判断で行動して来ました。

賛成派の人からは、今の組合が良くないからとか言う意見もあったりしましたが、それは全体から見れば瑣末なことです。

私は、学歴もなくて、知識もなくて誇れるような職歴も無くての無い無い尽くしですけど、常に全体を、高みから見ると言う訓練だけはしています。

ちょっと話が本題からずれてしまいそうなのでこれ以上は言及しませんが、自分自身が意図的に、相手が言うポジションに立てるように訓練していくと意外とそこに共通点であったり、逆に相違点を発見できるようなそんな気がします。

皆さんも、自身に意見は意見として持っておいた上で違ったポジションからも見る訓練をされてはどうでしょうか?

また違った世界観が見えるかもしれませんよ。

いいなと思ったら応援しよう!