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私の思考法
今日は、私の思考法と言うことで思いつくままに言葉を綴ってみたいと思います。
私は、日本国有鉄道と言うかつて存在した、組織の出来事などを中心とした、「国鉄があった時代」というサイトを運営しており、現在もほぼ毎日、新たな内容などを付け加えたりしてメンテナンスしています。
それ以外にも、これに関連するblogの作成なども行っています。
マニアックというよりも、かなり専門的に労働運動であったり、技術的な分野であったりと言う記事を書いています。
まぁ、技術的な分野は専門家の方がおられるわけですから、歴史に絡むレガシーな技術、を過去の資料などを参考に、解説を加えていく、労働運動に関してもしかり、私なりに解説を加えていく、他にも国会審議の議事録解説なんて言うのもあります。・・・自分でも技術的な話と、労働運動や、国会審議議事録なんて、真逆の方向ですけどね。
テクニカルと法制・・・、まぁ、なんとも自分でも無茶をしているのですが、実はすべて、
歴史というキーワード
を持たせてあるのです。
いわゆる、
時間軸という幹を作り、そこに伸びた枝がそれぞれの分野のblogと言うことになります。
その中で成長点が大きいのが、労働運動に関するblogかなと思っています。
別に労働組合の活動家になるつもりなどなく、ただひたすら社会学的な視点から考えていった結果でした。
もちろん、私の場合は社会学と勝手に名乗っていますが、大学で学んだこともなく、我流の、黒猫流社会学です、ただ、何となく社会学と言えるものはこうした学問なのかなぁと勝手に思っているわけです。
そこで、本題の私の思考法ということになるのですが、先ほども申し上げたように、大学などでベースになる部分を教えてもらうわけではなく、それこそ荒れ地を開墾していくイメージで、今まできたわけです。
さらに、基礎知識といえるものは、せいぜい高校で学ぶ倫理社会であたりしかありません。
倫理とは、簡単に言えば、
AにはBが必要である、しかしBを構成する要素は・・・CもしくはDで出来ている
いわゆる、倫理とは哲学を学ぶと言うことに繋がる
そして、哲学すると言うことは、より深く思索を深めると言うことで有り、倫理と哲学は密接不可分な関係であるわけです。
国鉄があった時代というサイトを構築していったときから、時々疑問点が出る、それを書き出してみる、資料をネット上で探す、関連する情報が見つかる、それを元にさらに調べていく、その結果が現在の複数に分化したblogになっているわけです。
それ故、私の場合、先ほど申し上げたように、それこそ40年以上前に高校で習った倫理社会の考え方を元に、自ら無意識のうちに哲学を実戦していたのかもしれません、そして、国鉄があった時代というサイトを通して、自ら社会学的な視点で切り取りながら、かつ紋切り型にならずに、複数の視点から判断できるようにしてきたのかもしれません。