自分は悪くない症候群
今日も少しだけ思うことを思うままに書いてみようと思います。
昨日プレジデントという雑誌をパラパラと読んでいたら、中学を卒業して、大検の資格で早稲田大学の文2に入学しようと思ったら採用が中止になってしまって、これは早稲田が悪いと言って世を嘆くニートな人が居ると取材されていました。
まぁ、プレジデントが、フェイクニュースを流すとも思えないので、ほんとにそんな風に世を拗ねている人は少なからずいるんだろうなぁと思ってしまいます。
自分は悪くない、悪いのは世の中だと言って厭世気分に浸る、政治家のスキャンダルや足を引っ張るマスコミなどを賞賛し、政権を攻撃する野党を頼もしく思う
結果的に、そんな人はどこまで行っても自分が悪くないわけですから反省をしない
というか、反省のしようがないですよね。
その人は全く正しいわけですから。
そう考えると、正しいということ、もしくは正論というのはどんなものなんだろうと考えてしまうわけです。
でもね、そんな人が意外と多いのかなぁと言う気がします。
そして、こうした人というのはある仮説を立てるならば、自ら考えるという意思を放棄している人なんでしょうね。
何でもかんでも揃っている環境がある。
取りあえず何もしなくても、生活できる。
もしかしたら、アフリエイトで、youtubeで食べていけるのではないかとか・・・どこまでも妄想を逞しくしてしまう。
だからこそ、余計にそうした簡単に成功できるのではないかと妄想を逞しくさせてしまう環境があるから余計にそうなるのかもしれないですね。
でも、所詮妄想は妄想ですからね。
上手くいかない、上手くいかないとなると、自分は悪くないわけですから。
儲けられないのは、youtubeが悪いんだとか、アフリエイトの商材が悪いんだとか思い出すわけですよ。
結局どこまで行っても、自分に問題点が有ると気づかない。
だから、いつまで経っても上がってこれないというか、自らそこを己の住処としてしまっているわけですね。
本気で変わりたいと願うのならば、チャレンジすべきですよね。
最初は上手くいかない、当然です。
歯牙にもかけてもらえない、それで何度でもチャレンジするんです。
「水滴 石を穿つ」
という言葉もありますが。
何度も何度もチャレンジすることで、成功のための一歩を踏み出せるわけです。
以前、大学を卒業してからも職を転々として、文句ばかり言ったり、他人の揚げ足を取ったりする人がSNSの中でいました。
時々、苦言と言うよりも、未だ20代の若者ですので、己の息子に諭すようなつもりで、諭したつもりなんですが、あまり本人は真摯に受け止めてくれなかったようですね。
なんか嫌なこと書かれたとか、今度は私に非難するようになってきて。
こちらも、嫌なので友達解除したんですね、そしたら、今度は向こうからしっかりブロックしてくれまして。苦笑
自分の人生を自ら貶める方向に進んでいるなぁと思ってしまったわけです。
そこで、気づいたこと
自分が間違っていないという意識は気がつけば遙か彼方に自分自身を追いやってしまうことになりかねない。
そう思います。