不満と愚痴
「不満と愚痴」ということで、私なりに思うことを思うままに述べてみたいと思います。
不満があるといって、愚痴る。
愚痴るという言葉を見れば、愚と痴と言う言葉に分けられますね。
愚=おろかと、読みますが。
痴=この字は、知識が病ダレになっていますから、知識が病んでいると言えそうです。
実際、
「痴」という言葉は、仏教用語だそうで、
検索してみますと下記のように書かれていました。
仏教用語。愚痴ともいう。事物やものの道理に関して心が混迷していて正しい判断ができないで迷う心理作用。すべての煩悩のもとになるもので,貪・瞋と並んで三毒 (→貪・瞋・痴 ) の一つに数えられる
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
https://kotobank.jp/word/%E7%97%B4-95560
まぁ、私たちは多くの不平不満を持っていると思うし、それを色々な形で発散していると言えそうです。
人によっては、物に当たる。
動物に当たりちらす。
ギャンブルにのめり込む。
やけ食いや無駄使いをする。
様々だと思います。
まぁ、最近ではSNSや匿名掲示板で書き殴るというのもあるかもしれませんが、いずれにしても、私たちは数多くの不満を昇華できずに、例えば安易にSNSなどに書き込んで余計に多くの不平不満を増殖させてしまうことはないでしょうか。
不満があるから愚痴が出る、愚痴が出るから心が乱れる、心が乱れるから、不安になる、不安になるから、不満が出る、不満があるから・・・以下繰り返し。
このルーチンに多くの人は嵌まっていないでしょうか。
もっとも、聖人君子になれと言っているわけでは決してなくて、どこかでそのループを少しだけ切るようにすればどうでしょうか?
例えば愚痴が出そうになったら、何で自分はそれに対して愚痴を感じたの?とワンクッション置いてみる。
それだけでも、このループから抜け出せるのではないでしょうか。
特に、SNSなどを見ていると時々そんな風に思うのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?