自身を変えるために、決断する習慣を付けませんか?
人はどうしても年齢を重ねてくると、今までの経験したことが全てとなり。新たな冒険をしようと思わなくなるものです。
どうしてもい経験値だけで判断をしてしまう、私も時々そんな罠に陥るときがあります。
そんな時は、敢えて一息入れて考えるようにしています。
本当にそうなのかと・・・。
あまり理詰めで考えすぎると、変化の速いものにはついて行けなくなってしまいますし、逆に歴史などの場合はある意味固定化されていますからじっくりと腰を据えて考えれば良いわけです。
ただ、いくつもの仮説は立てる必要はあると思いますが、それを直感で処理する必要性は少ないといえます。
逆に判断を迫られる場合は、まず決断することが大事であり、その結果間違っていたら修正すればよいと考えています。
そうした意味では私は非常に楽観的な人間かもしれません。
まず考えてそれでだめなら別の方法を考える・・・昔は違いました、考えて考えて・・・結局何もしなかった。
そんな気がします、ここ数年でもそうでした。
結局誰かに依存してしまって、上手くいかない時は、誰かのせいにしていた。
そんなところがありました、しかしそれでは何も変わりませんね。
少しづつ前に出てみる、叩かれることも多々あるけれど、思い切って足を踏み出していると、最初はビビるんですけど、そのうちそれも怖くなくなる。
脳がそうした経験値を上書きしていくんでしょうね。
これはスポーツでもなんでもそうだと思います。
逆に経験値が無いと結局は上手くいかないわけです。
だから最近は、敢えて自分で経験値を高める訓練を色々としています。
それは、「判断する習慣」
間違っていても良い、先ず「する」か「しない」か。
その上で、間違っていたなぁと思ったら素直に謝る、訂正する。
慣れないとなかなか難しと言うか躊躇してしまうけれど、それをすることで人は必ず変われると思う。
逆に変わりたくないと思うと、思考停止してしまって、自分たちだけで居心地のいいサークルに入ってしまうと思うんです。
だから、自分としてあは「心地いいなぁ」と思ったら敢えてそこから出てみるために新しいことにもチャレンジしてみる。
正直ビビりますけどね。笑
でも、そうして新しい世界を覗く訓練をしていると、しばらくすると本当に今までとは違った世界も見えてくるんですよ。
もし、自分を変えたいなぁと思ったら、先ず今までと違うことを経験する、さらにはそこで出来る出来ないを瞬時に判断するそうした決断力を付けてみる訓練を自分でする。
これで、かなり人は変われるのではないでしょうか?