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感情の切替スイッチ?とはどんなものだろうか。

今日も思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

ふっと頭に浮かんだ言葉が、二重人格と言う言葉でした。

コトバンクを参照しますと以下のように書かれています。

?二つのまったく異なる人格が同一人物のなかに交代して現れ、長期にわたって一方の人格が持続し、他方の人格のことについてはなにも思い出せないようなヒステリー的人格をいう。

引用:コトバンク 二重人格

と書かれていますが、ここまで極端でなくとも「突然キレル老人」とか、犯罪を犯したものが「普段は温厚そうな人が・・・」的に語られたりしますよね。

しかし、長期にわたって人格が入れ替わってしまうことはもとより、性格が変わったように怒り出したりすると言うことは、多々有るように思えます。

私が子供の頃には時々癇癪を起こすのか、せっせと作った積み木などを崩して、いわばミニゴジラ状態?になってしまうなんてこともありました。

それに軽く自己嫌悪ではありませんが、之は良くないのではないかと自分自身で葛藤したなんてこともありました。

そこで、人はどうしてこのように感情が変化するのかと考えたとき、その極点というか、境界線上の幅が大きい人と小さい人が居るのかなぁと思うわけです。

球体の場合、その境界線はいつまでも変化し続けるものの先が見えない。

しかし、人の場合は先ほどの二重人格ではないですが、オセロゲームの白黒の駒のようにひっくり返ると言うことがあるわけです。

その時、私たちは下の図に示すように、オセロの駒の白と黒の境界線上に私たちは存在していると考えてしまうわけです。

外的な刺激により、感情が揺り動かされ、時にそれが怒りであったり、悲しみであったりという場面に切り替わる。

もちろん、単純な2面の平面ではなくて、「怒り→悲しみ→深層自己説得→納得させる」と言った複数の経緯を辿って感情は元に戻るわけですから、そのように考えると単純な2面平面ではないことは判るわけですが、敢えて判りやすいように「怒りと笑い」というか2面的にとらえてみました。

ただ、ここで気づいていただきたいことは、「感情の切替スイッチが小さい人」・・・類型化すれば切れやすい老人とかと言う風に感情の抑制が中々出来ない人が居る反面、感情の切替スイッチが大きい人というのは、この感情に幅がありますので、よほどのことが無い限り変化しないと言うように言えるかもしれません。

感情が変化しないというのも変ですが、いきなり怒り出したりという事が少ないと言う意味でとらえていただければ良いかと思います。

最も、二重人格などと呼ばれる人の様に切り換えた性格が長期間変化しないというか、もう一つの人格が別の人格を支配すると言う意味では、こうした考え方が合致するのか否かは判りませんが。

一般的な場合、上の図のように感情の切替スイッチにより、怒ったり笑ったりの感情も然りですが変化しているのだと言えないでしょうか。

いささかまとまりがない文章で恐縮ですが、ご覧いただきご批判いただければ幸いです。

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