心の持ち方で意識も変わる。
これは以前、別のblogに2年ほど前に投稿した記事ですが、一部文言を修正してアップさせていただきます。
ご覧いただき、何かを感じていただければ幸いです。
皆さんは手塚治虫という天才漫画家をご存じだと思います。
亡くなる直前まで連載を持っていたそうで、『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』の他、『ネオ・ファウスト』も連載していたそうです。
いずれもが未完に終わっているのですが、私も『ルードウィヒ・B』と『ネオ・ファウスト』は単行本で持っています。
私自身は、元々は手塚治虫氏のファンではなかったので、若い頃はほとんど読まなかったのです。
ただ、30歳頃でしょうか、図書館で「ブッダ」を読んで、すっかりその物語の深さに魅了されて、機会あるごとに「火の鳥」など手塚作品を読み漁ったのでした。
ただ、手塚治虫氏は、これほどの天才なんですが、更に凄いなぁと思ったのは、悪く言えば嫉妬深い、よく言えば探求者だったそうです。
何かの本で読んだのですが、新人の漫画家で評判が良かったりしたら自分が負けるのではないかと思って対抗する作品を書こうとしたりなんてこともあったそうです。
天才ゆえに何でもできてしまう、逆に言えば、天才ゆえの苦悩と言えましょうか。
私なんて足元にも及びませんけど、一つだけ意識していることはあります。
それは、常に探求者でありたいと言うことです。
私自身の例でいえば、写真がそうでしょうか。
素晴らしい写真を見ると申し訳ありません、凄く嫉妬しています。
上手いなぁ・・・ではなく、嫉妬してしまう。
でも、その反面どうすればこんな写真を撮れるのかな・・・と再び考えてしまうんです。
そうして、全く同じ写真ではありませんが似たようなイメージの写真を再現しようと探求するんです。
そうして、気が付くと、更に高みに登っていた。
なんてことはよくあります。
手塚治虫氏の凄さから比べると微々たるものですけどね。
ただ、嫉妬する気持ちは誰でも持っていると思うしそれを否定することはできないと思うのです。
それをもう一歩進めて、探求心を持っていくことが成功の近道ではないでしょうか。
そんな風に思ってしまうんです。
オチも何もない話ですが、何かを感じていただければ幸いです。