クヌルプ ヘルマン・ヘッセ
読書が好きで、仕事ばかり必死にしていた時期をのぞいて(その頃も少しは本を読んでいたけれど)、私の人生は、本をよく読む人生ではあると思う。そして思い返してあの頃はこれを読んでいたなあとか、この頃はこのジャンルばっかりだったなぁなどと感慨にふけったりするのだけど、ある、人生のものすごく暗い時期に、私はよく本を読んでいた、と思う。というか、人生の大半を暗めにすごしてきたのだけど、その中でもとりわけ暗い時代だ。そしてその頃は、海外小説をより多く読んでいた。その中の一人の作家がへルマン・ヘッセだ。新潮文庫で手に入るものはとにかく集めた。執念である。ヘッセの作品はどれも好きなのだけど、どれが一番好きか考えたら、「クヌルプ」かもしれないなと思った。「シッダールタ」も好きだし「知と愛」も良い。「春の嵐」も良い…けど、なんとなくクヌルプだ。
クヌルプは主人公の名前で、どんな感じの人で、大まかなあらすじはこんな感じで、ラストはこうだった、ということを覚えている。細かいことは正直忘れてしまった。ただ、その最後の場面から与えられた印象が、あまりにも美しく、穏やかで暖かい光となって私の胸の内を照らしたので、当時、この作品がとても好きだと思ったし、感動した。その記憶を大切にしていて、今もクヌルプが好きなのだ。
人生とは何か、生きる意味とは何か、私が生きる意味とは何か、といったことを考え続けて、何かの答えを出してはまた考えて、という日々だった。それを考えることは辛くもあったけど(ネガティブにしか考えられなかったから)、考えずにはいられなかった。
そういう、苦しいような日々にいる私に、クヌルプの最後の部分、、、具体的に言えば、神様とクヌルプの会話は、何かとても明るい光だったし、じわじわと涙が出てきたのだった。
この記事を書くにあたり、またクヌルプを読んでみたのだけど、最後の部分にはかつてより感動し、ヘッセはこんなことを書 いたのか!と衝撃をうけた。
多分あれから10年くらいたつのだ。 あの時わからなかった行間の余韻が、今になってありありとわかる、そんな感じだった。
ヘッセはいろんな人の人生……人じゃなくてもいい。あらゆる存在の生きて死ぬことを、とても暖かい目で見ていたのかもしれない。そう思った。