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「生きる」ことが普通の人たち

わたしには自殺願望があります。

と言ったらとても大仰ですね。ごめんなさい。嘘です。ありません。
「ありません」というのも嘘ですね。
自殺願望があるというよりは、生存願望がないのです。
私の周りには、というかネットの中にはそういう人が多い印象があります。
私のコミュニケーションツールはSNSだし、人との関わりあいもこの中が多いので、たまにリアルの友人(SNSで繋がっていない友達を指す)と話をしたりするととても驚きます。
生存願望がないのは小学生の頃からでしたので、それを初めて話した友人にも賛同は得られませんでした。
その時の話はもっとマイルドに、「長生きしたいか」みたいな話だったような気がします。学校の作文の題とかだったのかもしれません。「●年後の自分」的なの。よくありますよね。
明るい未来を思い描けた過去もなかったように思います。
ずっとその場しのぎの生き方をしてきました。
身辺整理は全くできないしする気もないけれど、きっと今死ねば後悔がないわけではないけれど、でも別にずっと生きていたいわけでもない。そんな感覚があります。多分わたしだけじゃないことですけど。
それでも、「死にたくない」と人は言います。言う人がいます。
痛いからだろうか、苦しいからだろうか。
私も痛いのは、苦しいのも、嫌です。
でも、生きてる間、ずっと痛いし苦しいです。先のことを考えるともっとつらい。そう思うことも多いのです。
そういうとき、「死にたくない」と言える人、「自殺するぐらいなら●●すればいいのに」「よかったのに」と言える人たちを思い浮かべては、少し羨ましくなるのです。



長生きしたい人、早くに近しい人を亡くした人、病気にかかって苦しんでる人などにわかってもらえないのは充分にわかっています。別にわかって欲しいとも思いません。私も長生きしたい気持ちに共感はできないので、求められても困るし。どうぞ、それを願う方々が長生きできますように。

よくわからないんですけど美味しいもの食べます!!