エジプト地方都市で4500年続くピラミッド建造にバックパッカーで参加した話
※全部作者の趣味で書いてるフィクションです
私は大学休学時代に2年間旅人(いわゆるバックパッカー)をしていたことがある。日本食をリュックに詰め、それを手土産に現地で友達をつくり、泊めてもらう。これは費用を抑えるだけでなく、比較的安全な拠点を手に入れる手頃で便利な方法であった。
旅の始まりから半年程が経過し、スエズ運河を超えてアフリカの地を初めて踏んだ時、私はとても困惑した。エジプトの東の国リビア、南の国スーダンが、いずれも政府軍と反政府軍による内乱状態で、身動きが取れなかったのである。
エジプトは小さな国ではない。偉大なるナイル川に支えられた肥沃な地域と、圧倒的高度な古代文明が栄えたという美麗な歴史は、学者やコレクターだけでなく世界中のあらゆる人を魅了する。観光資源となったそれらの遺跡は、立ち止まった私に知的好奇心の刺激と、それらを巡りながら旅の計画を練るという時間的猶予を与えてくれたのだった。
首都カイロでホストをしてくれた青年(元々Facebookで知り合って連絡を取り合っていた)家族と合流すると、ディナーの会話中で大きな衝撃が走った。私がただの観光資源になり下がったと勝手に考えていた過去の遺物、ピラミッドはある地方で未だ慣習的に建設しており、働く人を募集しているのだという。王政を敷いていない現在のエジプト・アラブ共和国で、何のために、誰が作り続けているのか、何故そんな力を有している者が未だ地方に存在しているのか、私は湧き出る沢山の質問を抱えながら話を聞いたが、どうやら詳細に語れる者はいないようであった。
想像もしていなかった話に心を躍らせた私は翌日、遺跡で溢れているという南の町ルクソールに行くことを決めた。1日の準備を経て青年に感謝を伝えた後、バスターミナルの雑踏の中、南下する青いバスを探し乗車する。
その日は結局日没前に無事到着し格安ホテルの小さな一室にチェックインしたが、早めの夕食を摂りながら私は少し不安な気持ちになっていた。道中の道路は意外にも大部分が舗装されており、10時間の中古バスは快適なものだったのだ。現代的で順調な道中は皮肉にもピラミッド建設という噂の信憑性を下げ、既に一抹の後悔ムードをもたらしたのである。
ルクソールは古代エジプトの都テーベが位置していた場所で、王家の谷やルクソール神殿等が有名な土地だ。1泊2日程度で回れるサイズとはいえ、その中身は非常に歴史感の強い濃厚な観光名所といわれている。翌日ブランチ調達と情報収集を兼ねて中心部に足を運んでみたが、カイロから航空機を利用したと思われる観光客がちらほらと見受けられただけで、街中では特にめぼしい収穫がなかった。私は現地の言葉が使えないので、帰り道にしぶしぶ最後の望みをかけオフィシャル現地観光案内センターを訪ねると、ピラミッド建設について予想外の答えが返ってきた。
「ピラミッド建設ですね?もちろんありますよ。観光客向けの半日労働体験もあります。残念ながら給与は出ませんが、靴と衣服、昼食が提供されます。神聖な行為であるため見学はありませんので、もしご興味があればご参加することををおすすめします。」
なんともあっけなく、そして不気味なおすすめである。
何はともあれ、あっさりと目的の情報にたどり着いた私は、携帯の番号等を記入したのち、エントリーを終えた。少し悩んではみたものの、ここまできて体験しないわけにもいかなかったからである。翌朝6時集合の午前4時間の運搬労働という内容に、いささか現代版でホワイトな労働内容なのではと期待しつつ、私はその日早めに就寝した。
当日はおだやかな風が吹き、気持ち涼し気な天気であった。前日の夕飯の残りで用意したパンと水で朝食をすませ、案内センターに向かう。どうやら本日の参加者には私の他にもう一人、ドイツ人のダニエルがいるようだ。互いに物好きだな、という呆れた挨拶を交わしたのち、用意された衣服に着替え集合地へ向かう。車に30分程揺られれば到着するという。
集合場所にはざっと300名ほどのエジプト人がいた。正直予想よりも多く本格的な様子に目を合わせる私とダニエルをみて、観光局のスタッフが釘を指す。
「不景気だからね」
まっすぐな目は、重機を使わないピラミッド建設にはこんな人数じゃ足りないよとそういっているようだった。
実際の作業は想像通りかそれ以上に古代的なものであったと言わざるを得ない。2トン以上ある石を削り出し、15人掛かりで木製のソリを引く。私の役割は既に削り出してある石灰岩を運ぶだけだったが、非常にゆっくりで周りと息の合った長時間作業を強いられた。乾燥の中掛け声は1人ずつ小さな声で行ったり、こまめな水分補給ができたり、労働中の問題を回避する簡単な工夫は見られるものの、如何せん現代人の私には進まない作業が徒労に感じたのは言うまでもない。
日が昇るにつれ、気温は上昇していく。本来であれば午前10時まで続く作業を、現場監督の判断で30分程早く切り上げるらしい。誰も時計を持っておらず確かめる術はなかったが、それを聞いた労働者はみな非常に喜んだ。ダニエルも例に漏れず喜んでいるのが見えるが、私は10時過ぎにまた迎えにくると言っていた観光局のスタッフ(エジプト人は大体遅刻するはずなのだが)が既に到着していたことを見逃さなかった。まわりが最後のひと踏ん張りに活気だっているのを見ると、現場監督の鼓舞というには少し雑な虚言に気づく私とのギャップにフラストレーションが溜まる。
不満げな表情で作業に入っていくと、それまで違う作業グループで運搬をしていたダニエルと偶然前後になった。私の前を歩くダニエルは言う。
「なんだ?そんな辛そうな顔して。こんなにプレシャスな体験がもう少しで終わってしまうんだ、もっと五感を研ぎ澄ませてエンジョイしよう!ブラザー!(意訳)」
私はその勢いにあぁ、そうだなと無難な返事をしたあと、初めて来た砂漠の国で謎のピラミッドビルダーズ・ハイ状態のドイツ人に気圧されているこの状況がだんだんと可笑しく感じ、却って少し冷静な気分になった。
最後の石運びにあたって、私はふと手にした精神的余裕の中で太古の労働者に想いを馳せる。ピラミッドの建設作業は間違いなく楽ではないのだが、この集団労働の一体感や達成感は確かに妙な心地良さがあった。この巨大建造物は王族の支配力を顕示するだけでなく、砂漠に囲まれた国にある種帰属感を生む効果があったのかもしれない。私は袖で汗を拭いながらも不思議と惹きつけられていることに驚き、また自分も太古の民と同じく流れる時の一歯車に過ぎないのだろうという歴史ロマンの熱風を感じた。
作業が終わり、ダニエルと私は近くのエジプト人達と軽く挨拶を交わすと、観光局の人に連れられ足早と現場を離れた。
「本日はいかがでしたか?きっと想像していたよりも気持ちの良いものだったでしょう?かつて現場で働いていた労働者には高価なビールが振舞われていたのですよ。気を取り直して、はるか昔から続いているといわれる我々の街自慢のレストランにご案内しましょう」
にこやかに笑うスタッフは大汗を拭う私達を見て笑いながら車を走らせる。奇妙にしか思えなかったエジプトでの体験を重ね始めた私はこの時、ふとエジプト理解の敷居を跨いだ気がしたのだった。
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