プリキュアを語るためには、どこから語ればいいのか―『ひろがるスカイ!プリキュア』―英雄宣言の行く末は如何!?

23年『ひろがるスカイ!プリキュア』

12話「ツエェェェ!キュアスカイ対カバトン!!」
プリキュアにハマるきっかけになった回。
修行のイメージが古いなぁ、と思って遡ってシリーズを観てみれば、昭和ヒーロー感が漂ってて半年も経たずに全部、観てしまった。

ただ古い感じが表現できるのも、
架空の土地に根ざしていることによるのかなぁ、とも思う。
宇野常寛『リトル・ピープルの時代』幻冬舎文庫 2015(単行本は2011)367~377P、仮面ライダーWのくだり。
限定された空間内だからこそ成立しうる、古いヒーロー感。
終盤や劇場版で地球規模の壊滅危機まで追い込まれる描写あるものの、基本的には主人公たちが住む土地内でストーリーが展開していく。
これはセーラームーンも然りで、ヒロイン作品においては’90年代からすでにローカルヒーローの要素が確立していたともいえる。
しかも「ヒーロー」であることを謳っている主人公=ソラは、異世界出身者。
「昭和」「ヒーロー」のイメージは、ローカルな架空の空間内、今作に至っては異世界のものであるという設定があることで成り立っている。
昭和ヒーロー好きのおじさんがプリキュアになぜかハマってしまう要因のひとつにとして、上記のことが言いうるのかもしれない。

『プリキュア オールスターズF』
プリキュアのオールスター映画は、コロナ以前までは春休みの公開で、シリーズ最新作も序盤であることもあり、新人プリキュアもしくは映画オリジナルキャラの未熟さ・弱さとの向きあい、自分自身に打ち勝っていくことに主眼が置かれることが多い。
コロナ以降、プリキュア映画も秋公開に絞られたこともあり、15周年の『はぐプリ』と同じく、中盤時点におけるオールスターとなり、謎に強大な敵といきなり向き合わされることに。
15周年における敵が ”虚無” だとすれば、20周年においては ”創造主” と捉えてよいか。
付け加えるなら ”価値観を決定づける存在”。
”特定の価値観を絶対視しない” ことを謳ってきたプリキュアたちにとって、まさに強大な相反する存在。
一度は敗北しながらも、多様なる自由意志によって再び立ち上がり、何度でも立ち向かっていく。
タイトルの ”F” の意味は ”Freedom” かな?

49話『キュアスカイと最強の力』
メインキャラの闇堕ち・ダークプリキュア化って、何気にシリーズ初?
”ヒーロー=力を求める者”、という図式を引いて、それは対立勢力側とも共通する観念、ゆえに救済にも破壊にも適用し得る、といった ”ヒーローとは何ぞや” のひとつの答えを提示してきた、って感じ?
それにブレーキをかけたのは、次元を超えて出会った友人、っていう所はシリーズらしさ。

『HUGっと!プリキュア』
19話「ワクワク!憧れのランウェイデビュー!?」
『デリシャスパーティ♡プリキュア』
18話「わたし、パフェになりたい!輝け! キュアフィナーレ!」
『はぐプリ』以降、”ヒーロー” ”正義” の語が明言化されるようになり、それらに対する問いみたいなものがそこかしこに観られるようになったが、絶対的な答えは示さず、常にカウンターを入れてくるのも、またプリキュアシリーズらしさ。

50話「無限にひろがる!わたしたちの世界!」
古今の英雄神話らしく、最後は大蛇退治。
近年、スポーティで猪突猛進タイプがセンターに立つ傾向があって、よりヒロイックになってるように思ってはいたが……。
今作のキュアにおいては、主役は異世界の出身、”ヒーロー” = ”力を求める存在”として敵側の信条とも合致する両義的な存在として描かれることに。
スカイランドとアンダーグ帝国の対立理由がわからず仕舞いではあったので、何に対する ”力” なのかは曖昧なところではあるが。
(資本主義・評価主義などの比喩、戦争の無意味さの寓話といった解釈の余地を残したといえるか)
英雄性の強化はしつつも、カウンターバランスをどこかに入れることで、中空性も一方で保ち続けてもいる。
ただ、ヒロイズムへの鍵が、スポーティであることに偏っている傾向にあることは否めなくもないような? 次作も ”運動が得意” 設定だそうな。
夢原のぞみ、野乃はなのような ”何もない” ところから始まっていくストーリーが今後、作られることはあるのか、それが作られることがあったとき、それはどんな時代なんだろうか?

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