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"幻のイベリコ豚"に魅せられて──スペイン至高の味を日本へ。「生ハムの伝道師」10年の軌跡をたどる(前編)

スペイン産の最高級生ハム「ハモン・イベリコ」。その濃厚な旨味と芳醇な香りは、多くの食通を魅了してきた。しかし日本では、その真価を知る人はまだ少ない。そんな中、本場スペインの味を日本に広めようと奔走する男がいる。生ハムの伝道師、山田悠平氏だ。

山田 悠平氏

10代から飲食業に携わり、世界各国の食文化を学んできた山田氏。しかし、スペインで出会った一枚の生ハムが、彼の人生を大きく変えることになる。「最高の食材は、その価値に見合う感動がある。でも究極の幸せは、その感動を多くの人と分かち合えること」。そう語る山田氏の背景には、情熱と挑戦に満ちた歩みがあった。

本物の味を追求し、生産者との信頼関係を築き、日本の食文化に新たな風を吹き込む。山田氏が目指す「食による幸せの創造」とは何か。彼の軌跡を追いながら、生ハムが語る食文化の深さに迫る。


運命の出会い ─ 1枚の生ハムが人生を変えた瞬間

人生の転機は、時として思いもよらぬ場所で訪れる。山田悠平氏にとって、その瞬間は遥か異国の地、スペインの小さな村ギフエロで訪れた。

スペイン、ギエロフ村

カスティーリャ・イ・レオン州の古都サラマンカから車で南へ1時間。学生時代の友人が通訳をしていたギフエロ村への何気ない旅。山田氏の頭の中には、新たな文化との出会いへの期待が膨らんでいたに違いない。しかし、彼がこの旅の末に出会う一枚の生ハムが、自身の人生を大きく変えることになるとは、その時まだ知る由もなかった。

夕暮れ時のバルで、山田氏の前に運ばれてきたのは、薄くスライスされた生ハムが美しく盛られた一皿。濃い赤色の肉と、脂の白さのコントラストは、まるで芸術作品のようだった。そして、その一枚を口に運んだ瞬間─。その時の衝撃を今でも鮮明に覚えているという。

山田 正直一口食べた瞬間、言葉を失いましたね。「今まで食べた生ハムは生ハムじゃなかったのか」と。それまでの自分の生ハムに対する認識が一瞬にして覆されたんです。まるで、生まれて初めて生ハムを食べたかのような、そんな衝撃でした。

口の中でとろけるような食感、濃厚な旨味、そして芳醇な香り。それまでの常識を覆す味わいに、山田氏は言葉を失った。ワインと共に、気がつけば皿は空になっていた。しかし、その味の記憶は消えるどころか、むしろ鮮明に、そして強烈に胸の中に刻み込まれていった。

山田 食は人を幸せにするということをリアルに体感した瞬間でした。

一枚の生ハムが、人生を変えることがある。山田氏にとって、それはスペインの小さな村ギフエロでの出来事だった。

口の中でとろける食感、濃厚な旨味、そして鼻腔をくすぐる芳醇な香り。その瞬間、山田氏の中で何かが劇的に変化した。それは単なる味覚体験を超え、彼の価値観そのものを揺るがす経験となった。

スペインの食卓で繰り広げられる光景に、山田氏は心を奪われた。家族や友人との会話に花を咲かせながら、心ゆくまで食事を楽しむ。その姿は、効率や利便性を追求するあまり、ともすれば忘れがちな大切なものを思い出させてくれた。

しかし、なぜ一枚の生ハムがこれほどまでの衝撃を与えたのか。その答えは、味の向こう側に広がる奥深い世界にある。イベリコ豚の悠久の歴史、ギフエロの特異な地理的条件、そして代々受け継がれてきた職人の技。これらが複雑に絡み合い、唯一無二の味わいを生み出しているのだ。

その夜、興奮冷めやらぬ山田氏は、なかなか眠りにつけなかったという。頭の中は先ほどの生ハムの味で一杯だった。そして、この感動を多くの人と分かち合いたいという思いが、彼の心に静かに、しかし確実に芽生え始めていた。

こうして山田氏は、2ヶ月に及ぶスペイン全土の生ハム探訪の旅に出る。それは単なる美食の旅ではなく、自身の人生の新たな指針を見出す旅となった。「生ハムの伝道師」としての第一歩を、彼はここに踏み出したのである。

世界を巡る食の探究 ─ 偶然から始まった物語はいつしか使命へ

人生の道筋は、時として思いもよらぬ曲がり角で大きく変わる。山田悠平氏の場合、その転機は食との何気ない出会いから始まった。

10代の頃、山田氏にとって飲食業は単なるアルバイト以上の意味を持たなかった。

山田 飲食店で働いていたので、食に関する基本的な知識はありました。でも正直なところ、その頃の自分にとって食事は日々の営みの一部でしかなく、その奥深さや可能性については全く気づいていなかったんです。

若き日の山田氏は、自らに眠る食への探究心に気づいていなかった。大学時代、純粋な好奇心から始めたバックパッカーの旅が、彼の人生を思わぬ方向へ導くことになる。

各地を巡る中で、山田氏は自然と多様な食文化に触れていった。その土地ならではの味わいとの出会いは、彼の中で静かな変化を引き起こしていく。食事が単なる日常の一部から、文化や歴史を体感する手段へと昇華していったのだ。

しかし、真の転機は大学卒業後のスペイン訪問だった。ギフエロの小さな村で出会った一枚の生ハム。この衝撃的な体験が、山田氏の心に眠る情熱に火をつけた。

山田 今振り返ると、衝動的だったと思います。生ハムの味が忘れられず、その後すぐに2ヶ月かけてスペイン中を巡り、生ハム生産者を訪ね歩いたんです。その時は、ただ純粋に、もっと知りたい、もっと味わいたいという思いだけでした。

この2ヶ月間の旅は、単なる食べ歩き以上の意味を持っていた。山田氏は各地域の気候や伝統、そして生産者たちの哲学が、それぞれの生ハムに独特の個性を与えていることを、身をもって学んだのだ。

ここで疑問が湧く。なぜ、これほどまでに生ハムに魅了されたのか。それは味の違いだけではない。山田氏は生ハムを通じて、スペインの食文化と生活様式に深く触れたのだ。日々の食事を通じて家族や友人との絆を深め、人生を心から楽しむ、そんな人々の姿。

山田 スペインの人々は、特別な行事はもちろん、日常の食事さえも大切にしていて。家族や友人との繋がりが驚くほど強いんです。そして、食べるという行為は、まるで魔法のようなんです。身分や国籍に関係なく、誰もが幸せを感じる。この普遍的な力に、僕は心を奪われました。

山田氏の心に宿った気づきは、単なる驚きや憧れを超えていた。食事という日常の営みが、実は人々を結びつけ、幸福を紡ぎ出す力強い糸であることを、その身をもって感じ取ったのだ。

もはや美食の追求だけでは満足できない。食を通じて人々の暮らしに幸せをもたらしたい。そんな思いが、静かに、しかし確かな熱を帯びて、山田氏の胸の内で育ち始めた。

世界を巡る食の探究は、彼に予想外の贈り物をもたらした。“新たな価値観”と、そして“使命感”だ。しかし、これもまだ物語の序章に過ぎない。その脳裏には、すでに次なる挑戦の青写真が描かれつつあった。

日本に、“本物の生ハム”を届ける━。

その道のりが平坦でないことは、彼自身が一番よく理解していた。しかし、その困難こそが、山田氏の情熱に火を点けたのだ。

生ハム輸入への挑戦 ━ 情熱が築いた日西の架け橋

美食の世界での挑戦は、往々にして厳しい現実との闘いを意味する。山田悠平氏の生ハム輸入への道のりは、まさにその典型だった。一枚の生ハムとの出会いから始まったこの物語は、情熱と困難が交錯する壮大な冒険譚となる。

スペインで味わった至高の生ハム。その感動を故郷の人々と分かち合いたいという思いは、厳格な検疫制度の前に砕け散った。日本の規制により、生ハムを直接持ち帰ることは不可能だったのだ。しかし、この挫折は山田氏の情熱を消し去るどころか、むしろ彼の決意を一層強固なものにした。

帰国後、彼は日本全国の高級百貨店を巡り歩き、「本物」を求めて舌を肥やしていった。しかし、どれほど探しても、スペインで体験したあの感動には遠く及ばなかった。その落胆と焦燥が、やがて彼を大胆な決断へと導くことになる。

山田 日本に帰ってきてからも、あの味が忘れられなくなり、国内百貨店などを巡ってハモンイベリコを食べ回りました。でも、現地で食べた味には程遠く、身近で美味しいとはかけ離れていたんです。そこで思ったんです。無いなら自分で輸入すれば良いかと。当時23歳だった私は特に深く考えず、スペインから帰ってきた翌週またスペインに飛び立ちました。

若さゆえの無謀さか、それとも純粋な情熱か。彼の決断は、多くの人の常識を超えていた。目指したのは、かつての旅で最高の味と認めたギフエロ村の生産者だった。30時間以上かけて訪れた農場。しかし、待っていたのは冷ややかな現実だった。

山田 どう見ても若者で何の実績もない私を相手にしてくれないのは当然でした。でも、驚いたのは彼らが日本のマーケットについて既によく調べていたことです。

スペインでは、ハモンイベリコとして販売するには厳しい法律や規定があるんです。血統、飼育環境、飼育年数、熟成期間、屠畜時の体重など、細かく決められている。彼らは3代にわたってそれらを遵守し、より美味しいハモンイベリコを目指してきた。そんな彼らが日本のマーケットを視察した際、衝撃を受けたそうなんです。

生産者の言葉が、山田氏の記憶の中で鮮明によみがえる。彼は、その重みを噛みしめるように続けた。

山田 スペインではとても『ハモンイベリコ』と呼べないような商品が、日本では高価格で堂々と『ハモンイベリコ』として販売されていた。それが彼らにとっては、長年築き上げてきたブランドイメージを著しく損なうものだったんです。
「わざわざそんなマーケットで販売する必要はない。ヨーロッパ内のレストランだけでも完売している。ブランド名だけ欲しがる日本には興味がない」と、きっぱりと断られたんです。

この経験は、山田氏に日本市場の現状を痛感させると同時に、彼が挑まんとする難題の、その輪郭をより明確にした。

山田 その時、私は単に美味しい生ハムを輸入するだけでは意味がないと気づいたんです。本物のハモンイベリコの価値、そしてそれを作り出す生産者たちの情熱や誇りを、きちんと日本に伝えなければならない。そんな使命感が芽生えました。

諦めることなく、山田氏は1年半に渡って生産者たちと対話を続けた。何度もスペインを訪れ、時には彼らを日本に招き、市場を案内した。そして、4度目のスペイン訪問。今回の手土産は、日本の夏の風物詩、風鈴だった。この小さな贈り物が、凍りついていた生産者の心に、小さな亀裂を生むことになる。

山田 「日本人は風の微妙なニュアンスを音と言葉で楽しめる繊細な文化を持っているんです。この繊細な生ハムの味を本当に理解できるのは日本人です。」と。そこまで言うなら好きにやったら良いと、ようやく根負けしてくれました。1ケースでも好きなように対応すると。

これが、山田氏の夢の実現への第一歩となった。以来、彼は年に何度もスペインを訪れ、製品規格の打ち合わせや生ハムの研鑽を重ねながら、自身の事業を軌道に乗せていった。

一枚の生ハムから始まった山田氏の挑戦は、やがて日本とスペインを結ぶ確かな架け橋となった。彼の情熱は、文化の壁を越え、新たな味わいの扉を日本に開いたのである。そして今、彼の目には、まだ見ぬ高みが映っている。

本物のハモンイベリコを通じて、日本の食文化にどのような変革をもたらすことができるのか。山田氏の挑戦は、まだ終わっていない。(後編へ続く)

後編はこちら


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