自由を感じた日。
抽象的な話。
例えば
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分かっていることは分かったことである、
分かり合えるのは分かり合えたことである。
僕はたぶんそのことに
絶望しながら希望を探すタイプなんだと思う。
絶望していた場所に入り、希望を探している。
絶望していたことをやり、希望を探している。
絶望しているものを手に取り、希望を探している。
絶望から希望に転換するための共通点が
ポジティブに"あきらめる"ことにあることに気づいた。
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こんな、日々の些細な概念的な気づきを言葉にしたいなあとググってみると、仏教の言葉などがはまることがある。
「諦観」
1 失敗、現状を真正面から見る。
2 そのものの事実として受け入れる。
3 対策を立てる。
4 実行する。
(諸説あり)
「なるほど、【諦める】は【明らめる】であり本来は隠したい失敗を光を当ててありままを観ることにあるのか。そういえば1、2のステップはマインドフルネスに近いな。」
などと勝手に解釈、理解し受け入れていく。
「総てをを棄てれば目の前には未来だけが残る。」
ああ、やはり僕は寺の息子なんだなあと、幼いころに読んでいた手塚ブッダの影響なのかなぁと自分に無責任な想像を膨らませながら勝手に納得していく。
いやぁ、おれ自由だわ。
と思ったのでした。